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<ペンリレー>

発行日2010/02/10
並木クリニック  並木 龍一
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「犬」飼います!!
 
 産婦人科入局同期の、御野場たなかレディースクリニック田中秀則先生より、ペンリレーの執筆依頼を受けました。その頃私は、会報1月号の特集「年男・年女となって」の原稿依頼もあり、締め切り寸前で頭を捻って執筆中でした。以前にもペンリレーに投稿したこと、1月号に続いての投稿であることを理由に固辞しましたが、「ナミちゃーん、オネガーイ。」の言葉に負けました。(彼は私に頼みごとがあるとナミちゃーんと呼称が変化します)会員の皆様には誠に失礼ですが、2号連続の投稿を了承願います。さて何を題材にしよう(1月号に投稿したばかりだし)と考えている間に、我が家に新しい家族が増えることが決まりました。そうです、「犬」を飼うことにしたのです。(くれぐれも犬嫌いの田中先生への宛てつけではありません…)
 私は大の犬好きです。(勿論、今回が「犬」初体験ではありません。)その理由は私よりも大の犬好きと思われる父の影響が大きかったと思われます。幼少時、姉が捨て犬と思われる犬を拾ってきて飼いたいと父母に懇願しました。犬嫌いの母(ちなみに戌年生まれ)が大反対の中、父は飼うことを黙認しました。その後、ブリーダーとしても有名だった故江見喜代彦先生より、シェットランド・シープドッグを譲り受けました。庭に立派な犬舎と囲いを造りましたが、当時小学生だった私は犬の世話の仕方が解らず、囲いの外から名前を呼ぶ位でした。(名前はジュピー)その当時、忙しかった父は朝夕の食事を与えに犬舎に入り食べ終わるまでの時間を唯一の楽しみにしているようでした。
 そんな私が「犬」を飼わない訳はありません。私と同じく犬好きの妻との意見も一致し、平成3年にキャバリア・キングチャールズスパニエル(通称:キャバリア)を飼い始めました。当時まだ学生で東京に住んでいました。(正直に申します:国試浪人中でした)生後1ヵ月の雄犬、名前は「チャッピー」が来ました。落ちた医師国家試験の終了日でした。余りの可愛さに国試の疲れも吹き飛び虜になりました。私は当時、飼い犬厳禁のマンション住まいでしたのでとても気を遣いました。朝5時にお腹が空いて「キャン、キャン」と鳴きますと、すかさず餌を作りお遊び。(当時妻は妊娠中、全てが私の役目)散歩も私の役目、でも無職(?)の私には苦ではなくとても楽しい毎日でした。ある日、近くのペットショップにチャッピーをシャンプーのために連れて行きました。平日の日中、普段着の私、お腹の大きい妻を見て、どう考えても夜のお仕事の方に見えたのだと思います。「旦那さんお仕事お疲れ様でした。1時間後にお迎え下さい。」と言われました。(俺はホストかヨー。まあ、アマリ変わりないカ)
 そんな私も医者になり秋田に戻って来ましたが、朝の散歩は続けました。犬は飼い主に似ると良く言いますが、その通りでした。私は毎晩晩酌をします。まずはビール、そして水割りというパターンです。ある日、チャッピーに遊び半分でビールを口移しで飲ませました。そうしたら毎晩おねだりするどころか、缶ビールを開ける「プシュッ」という音がすると、どこからでも私の元に飛んで来るようになりました。夏にはビールのお伴枝豆が食卓に上がりますが、勿論これも大好物でした。ビールの後は、水割りの氷を嗜んでいました。
 その当時、我が家にはもう一匹の犬が居ました。父が飼っていたシベリアン・ハスキーです。名前は以前飼っていた犬と同じ「ジュピー」。父は毎朝の散歩を日課にしていました。大きさはかなり違いますが、この二匹は大の仲良しでした。
 チャピーが3才の頃どこか具合が悪く、動物病院に連れて行きました。その時の病気は大したことなかったのですが、心エコーの結果「三尖弁閉鎖不全症」であることが解りました。この犬種によくある先天性の心疾患だそうです。キャバリアのような小型犬の寿命は平均で10~12才ですが、その時、獣医さんから「そこまでは生きられない」と言われ愕然としました。でもその後しばらくは大病もせず、庭を走り回り私の晩酌にお付き合いしてもらいました。
 しかし獣医さんの診断は的中しました。6才位になり腹水が溜まり始め呼吸が苦しそうになってきました。くしくもそのころから、開業して忙しくなった私は、朝の散歩も行かなくなっていました。妻が病院通いを2年間続けました。平成12年2月、ついに最後の日がやってきました。眠っているような安らかな死でした。(享年8才)その翌月、父が「大腸がん」であることが判明し、大腸部分切除術を受けました。手術は勿論成功、私達と同様にチャッピーを可愛がっていた父は「チャッピーが俺の身代わりになってくれた。」と言っていたのが印象的でした。
 その年には、まだまだ不幸が待っていました。父の愛犬ジュピーが7月に突然死しました。(享年9才)そしてその翌月、父が「肺がん」であることが判明しました。腫瘍は左主気管支を塞ぎ手術不可能、放射線治療の方針となりました。平成7年に「胃がん」に罹ってから、3度目の「がん」であり今回は手術不可能、これはダメかなと思いました。しかし、放射線治療により腫瘍はみるみる縮小、ついには完治となりました。
 その時も父は「ジュピーが俺の身代わりになってくれた。」と言いました。本当にドラマのような奇跡が起こると、しみじみ思いました。
 その後、我が家には「犬いない歴」が続きました。私としては、父を救ってくれた犬達ですが、生涯犬を飼うとは思っていませんでした。理由は、私が最後まで面倒を見てやれなかったからです。今後もその目途はありません。しかし、2年位前からしきりに妻、娘、息子より犬を飼うことを懇願され続けられました。私は「誰が面倒を見るんだ。」と断り続けました。でも今回の原稿のように、人から頼まれると弱い元来の性格からか、最終的に降伏しました。「僕は面倒見ないヨ。」を前提に犬を飼うこととなりました。(本当は面倒見るくせにと思いつつ)
 まだ来ていませんが、今度の犬もキャバリアです。雌にしました。名前もすでに決まっています。「レディ」です。ディズニーアニメの「わんわん物語」(原題:Lady & the Tramp)のレディにあやかって付けました。アニメのレディのモデルは、アメリカン・コッカースパニエルと言われていますが、キャバリアの方がずっと似ていると思います。
 さてどんな「Lady」が来るのやら、内心一番心待ちにしているのは私かもしれません。チャッピーにはまだ気が引けますが眠っている墓石への、大好物だった缶ビールのお供え(?)は続けますから許して下さい。
 次は広報委員会で一緒のかがや内科医院、加賀谷学先生にバトンを渡します。
 
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