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<ペンリレー>

発行日2009/10/10
秋田組合総合病院  稲葉 宏次
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おいしい話
 
 秋田組合総合病院消化器科の稲葉宏次です。昨春、能代市山本郡医師会から移動となりました。秋田市での生活は高校卒業以来20数年ぶりでしたが、早くも1年5か月が経過しました。私に比べ、環境変化に速やかに順応している子供達は見事なものです。私もようやく慣れてきたかな、と思っているところに今回の依頼が届きました。濱島先生や御主人には大変お世話になっており、下手なことは書けないな、との思いはありますが、何を書こうかまるっきり思い浮かびません。何しろ根っからの無趣味人間なのです。あれこれ悩んだ末、自己紹介とともに、秋田市民歴が短いことを逆手にとり、県外の勤務地の主においしい思い出を綴ろうと思いますので、しばしお付き合い下さい。
 出身医局は岩手医科大学第一内科学教室です。当然勤務先は岩手県内がほとんどですが、北は八戸市、南は喜多方市まで(ご想像の通り、喜多方に赴任中は3か月間毎日のようにラーメンを食べていました)、主に北東北を中心に多岐に渡ります。その中で約10施設ほどに勤務する機会を得ました。3ヶ月から4年程勤務させて頂き、その後大学に戻ったり、また出たりの生活を何年も続けていました。秋田県内では鹿角市や能代市でも生活しました。
 では、始めに八戸の思い出です。独身時代最後の赴任先の八戸赤十字病院には1年間勤務しておりました。当時の部長先生には主に内視鏡診断・治療について御指導頂き、その師匠と呼べるべき先生との出会いが最も大きかった(おいしかった)訳ですが、その1年間はほとんど、「仕事して飲んで寝る」、という生活でした。症例数が非常に豊富であることに加え、おそらく当時は大学より高度な内視鏡治療を積極的に施行していたであろうことから(今から10年も前、まだダブルバルーン小腸内視鏡というものがない時代に、胃全摘Roux-en-Y再建術後の総胆管結石に対する内視鏡治療などということもしておりました~介助者の私が発表させて頂きましたが、少なくとも当時東北では初めての手技でした)、八戸日赤は医局の関連病院の中で最も過酷と噂されていました。実際、休憩時間は昼食時の15分位で、その他外来、検査、回診、読影とせわしなく一日中動き回っていました。しかし、実はなんと日中だけではなく夜も過酷であったのです。医局のトランク先で最も大きな街である八戸市は、皆さんご存知の通り人口24万人前後の青森県下第二の都市です。港町でもあり歓楽街が非常に充実しています。仕事が終わり先輩後輩達と夜の街に繰り出すのが21時前後ですから、当然午前様です。時には3時を過ぎることもありました。連日、もちろん上司が帰ろうというまで宴は終わりません。幸い気心の知れた同僚もいたので苦ではありませんでしたが、今では考えられない生活です。暴飲暴食かつ運動なしと不摂生を続けたにもかかわらず、1年間で7kgの体重減少がありました。学生時代の体重に戻ったのは後にも先にもこの時だけです。
 次は岩手県の久慈市です。八戸から沿岸を約60km南下したところです。陸中海岸国立公園の北に位置し、国内最北端の海でウニ、アワビを素潜りで採る「北限の海女」、もしくは国内最大の琉珀の採掘産地としてご存知の方もいるでしょう。1年3ヶ月程勤務しました。当然魚介類はおいしいのですが、一番印象に残っているのは松茸です。偶然、早朝に駅前で松茸を売っている、という噂を聞きつけ、後輩の手にお金を握らせました。早起きして買ってくるんだぞ、と指令を出して。当時はまだ先輩の言うことには絶対服従の時代です~常識範囲内に限りますが。翌日、その後輩はニコニコしながら私の所に報告に来ました。「先生、買ってきました。もちろんちゃんと値切りましたよ」と。何も言っていないのに価格交渉までしてくるとは恐れ入りました。その日の夕方、その後輩やテニス仲間の他科の先生達と5人で炭火で炙っていただきましたがなんと食べ切れませんでした。2万円を切る値段でこの量とは皆さんどのように思われますか。市場の相場は分かりませんが、とてもreasonableなのではないでしょうか。実は久慈は岩手県内でも有数の松茸の産地だったのです。地元のおばちゃん達がせっせと山を歩いて収穫するのだそうです。今は分かりませんが、当時は時々朝に売っていたのでした。
 最後は久慈より更に70kmほど南下した宮古市です。結婚後初めての赴任先であり、新婚時代を過ごした思い出の地です。宮古には3年間勤務しましたが、一生分のウニ、アワビを食べたかもしれません。今の時代、大きな声では言えませんが、患者さんが持ってきてくれるのです。「先生、来月は口開けなので病院に来られません。」~はて、何のことだろう?と思っていると後日ウニやアワビを持ってきてくれるのです。ご存じの方も多いかもしれませんが、漁の解禁を浜辺では口開けというのでした。海鮮物を後日お返しするわけにもいかず、ありがたくいただきました。しかし妻と2人では食べきれず、同じ官舎の先生方にお裾分けしたり、逆に頂いたり。アワビは刺身では食べきれず、ステーキにして食します。バターでソテーし醤油で味付けして出来上がり。簡単ですが、非常においしいです。加熱することにより身が柔らかくなり、香ばしさと併せてたまりません。贅沢な一品です。ウニは生の他、焼きウニも頂きました。アワビの貝にウニをのせて焼き上げた一品です。ウニ本来の甘みや磯の香り、焼いた香ばしさが口中に広がります。我が家では生より焼きの方が好評でした。冷凍なので保存も効きますし。ちなみに三陸では「ウニ」のことを「かぜ」ともいいます。盛岡でも飲食店で「かぜおにぎり」なるメニューを見かけることがあります。焼いたウニをまぶしたおにぎりでこれまた美味です。
 このように様々な地で多くの患者さんを診療する機会を得、指導医にも恵まれ、さらにおいしい料理もいただきながら有意義なトランク生活を送ってきましたが、秋田に居を構えた今後はこちらのおいしいものに巡り会えることに期待していきたいと思います。
 以上、他愛もない思い出話となってしまいました。なんとも稚拙な内容で申し訳ございませんが、もし前述の地域ご出身の先生がいらしたら懐かしんで頂けたのではないでしょうか?


 
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