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<ペンリレー>

発行日2009/09/10
市立秋田総合病院  伊藤 誠司
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写真と私
 
 もう少しで年齢制限に引っかかる寸前の私にお鉢が回ってきた。会員の皆様の興味を引きつけるような文章など書けそうにないのですが、何も書かないわけにもいかないのでこれまで趣味としてきた写真について書く事にしました。
 携帯電話のカメラ機能・ビデオ機能は在って当たり前で、誰でも写真を気楽に撮れる時代となりました。
 昭和26年生まれの私の幼年期の写真は6歳の頃に近所の新しがり屋のKさんが買った2眼レフカメラで撮ってくれたものが1枚しか在りません。当時はカメラは高価な奢侈嗜好品でありましたしフイルムや現像焼き付けにかかる費用も安くはなっかたと思います。被写体である少年の私も照れ笑いしながら家の前の植木に寄りかかって写っていました。中学生の頃には父が購入したヤシカのカメラで撮った数枚や学校で撮った記念写真が残っていますがどの写真を見てもほとんど笑ってなくて、今の子供がピースポーズするのとは大違いです。
 昭和50年に弘前大学第2外科の医局に入ると手術の記録写真や学会のスライド作成に白黒写真を自分で暗室にこもって現像・焼き付けをすることを教わりました。当時使ったカメラはニコンF2に50mmマクロで、もちろんマニュアルフォーカスで露出の過不足に備えて絞りを3段階に変えて撮影していました。この頃私用に購入したのがアサヒペンタックスのK2と28mmF3.5、50mmF1.4、135mmF3.5でした。絞り優先自動露出は当時では画期的に使いやすく、この後生まれた私の子らには(私は子の誕生に居合わせたことはないため)生後2~3日目から小・中学生の頃までのアルバムがありますが、これらの写真はほとんどペンタックスの機材で撮影されたものです。その後子らが思春期に入ると被写体になってくれなくなりアルバムも少し寂しくなるのですが、これはどこの家庭でも同じでしょうか?
 2001年9月に初めてのデジタルカメラ(カシオQV-4000)を購入してからはフイルム・現像・プリントの手間がなく気軽に撮影できるようになりました。その後コンパクトタイプや1眼レフタイプのデジタルカメラや交換レンズが増え旅行のたびに大きなバッグを持ち歩いては家人にあきれられています。
 平成19年生まれの孫には誕生直後から写真があり、すでに数え切れないほどの写真やビデオが在ります(張本人は私ですが)。今の一番の問題はせっかくの写真(データ)をどうやって保存・整理するかです。ハードデスクもCD/DVD/BDも注意していないとデータが破壊・消失してしまう危険があり、複数にダビングして保存するしかないようですが、こまめに行う性格では無いので安全確実手軽な手段があったら教えていただきたいと思います。
 今後も孫や家族の専属カメラマンとしてパチパチと(古い言い回しだ!)写真を撮りまくるでしょう。
 次には市立秋田総合病院外科高橋賢一先生にお願いします。


 
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