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<ペンリレー>

発行日2009/06/10
中通総合病院  成田裕一郎
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ラスベガス旅行記
 
 中通総合病院整形外科の成田裕一郎です。同じ中通病院病理科の東海林先生から2度にわたってご依頼をいただきまして、角南先生からのバトンをお受けしました。何を書こうか迷ったのですが、この2月に秋田大学整形外科島田洋一教授のご高配により、ラスベガスで行われました第76回アメリカ整形外科学会に参加してまいりましたので、そのお話をしたいと思います。といっても整形外科の話は万人向けでないので、学会以外の思い出話を聞いてください。
 島田教授から「大学のフェローとして太平療育園の坂本仁先生とご一緒にアメリカ整形外科学会に参加して来るように」というお電話をいただいたのは2008年10月のことでした。前年度はやはり中通病院の宮本誠也先生が選ばれていますので、2年連続で大変光栄なことです。電話口では「はい、はい、…ありがとうございます」しか出てきませんでしたが、あとで学会の会場を調べると…「え?ラスベガス?…ってギャンブルの街じゃないの?」 その日家に帰って私は家族に宣言しました。
 「お父さんは2月にお勉強しにアメリカヘ行く。」
 「アメリカのどこ?」
 「ラスベガス!!」
 「?!」
 とりあえずその日から付け焼刃の英語の勉強を始めました。「うん、まずさしあたり英検の準2級の勉強だな!」結局ほとんど役に立ちませんでした(後述)。
 「でもラスベガスってどうやって行くんだ?」こいつに渡航手続きができるわけがないとちゃんとお見通しの島田教授は、秋田大学整形外科で留学経験の長い本郷道生先生をナビゲーターにつけて下さいました。実際はナビゲーターというよりも渡航手続き、学会のregistrationから食事、観光の手配まで一切をお任せしてしまいました。他に秋田大学整形外科の宮腰准教授、湖東総合病院の小林孝先生がご一緒することになり、私にとっては学生時代からの旧知の方ばかりで大変楽しみな旅となりました。Registration、ESTA(アメリカ本土の入国手続き)にちょっとしたマイナートラブルはあったものの、本郷先生のおかげで何とか出発にこぎつけることができました。往復それぞれ18時間超の長旅で乗り物に強くない私には少々きついところもありましたが緊張と楽しさが上回って思い返せばあっという間でありました。成田からロサンゼルスまでの往復はJALでしたので、片道約10時間の機内でパソコンに向かってお仕事をがんばっている宮腰先生を横目に、私「おくりびと」「涙そうそう」「容疑者Xの献身」「青い鳥」「博士の愛した数式」などの日本映画を見まくっておりました。アルコールもただなのですが、行きは緊張から、帰りは疲労から(前日までの飲みすぎ?)あまりすすみませんでした。ロサンゼルスで乗り換えて(security checkはこっちのほうが厳重)、飛行機がラスベガスに近づくにつれ、荒涼としたでこぼこの台地の中にきらきらした高層ビル群と長方形のマッカラン空港、それにつながる細いフリーウェイが見えてきたときはこれまで体験したことのない不思議なものを見る気分でした。
 ラスベガスはガイドブックに書いてある通りカジノの街でした。空港に降り立って入国審査を終えて角をまがるとすぐ、たくさんのスロットマシンがずらっと並んでおりました。われわれの宿は「フラミンゴ」というやや古いホテルでしたが、大きな通りに面して瀟洒なホテルがたくさん立ち並び、中にはいずれも大きなカジノがあって「カジノを通り抜けなければトイレにも行けない」構造になっていました。子供は出入り禁止、カジノで遊ぶときはアルコール飲み放題との事でしたがその分ホテルの自室内には冷蔵庫なしで、飲み食いしたくなったらカジノヘどうぞという仕組みのようでした。では治安はといえば、ラスベガスはマフィアが一掃されてアメリカ有数の治安の良さを誇っているそうで、土地の日本人の方に聞くとカジノの雰囲気もヨーロッパのようにお高く留まらず、アジアの一部のように下品でもなくて国際的にも人気が高いとのことでした。私はスロットマシンしかしませんでしたが、某先生はポーカーでやさしいおばさんディーラーに当たって少し儲けさせてもらったようです。2月のラスベガスの気温はおよそ6℃から20℃でからっとしていて着いたときはとても気持ちよかったのですが、やはり乾燥が強くすぐにのどがやられてしまいましたので、ペットボトルの水を離さないようにこころがけました。
 さて、学会は2.25から2.28までの4日間で、前半の3日は2時間ずつのセッションを最大4つまで聞くことができる構成になっており、最終日はspecialty dayと称して一日中専門分野の会場に入り浸って話を聞く日という日程でした。整形外科はご存知のように首から下の運動器は全て診なくてはなりませんので、脊椎、肩、肘、手の外科、股関節、膝関節、足の外科、小児整形、スポーツ整形、外傷学全般とたくさんの専門分野に分かれます。そのすべてを各会場に分かれて議論するわけですから、会場の広さ、ブースの多さも半端ではありません。学会全体の性格としては関節外科、すなわち肩、股、膝関節に関するものが多く、私が多くかかわっている肘、手の外科の分野はどちらかといえばマイナーでしたが、その分どの話を聞くか迷うことがなく、ある意味でストレスがなかったように思います。私は国際学会に行くのはもちろん話題にするのも初めてで、ご存知の方には当たり前なのでしょうが、手続きの過程から日本にはない習慣に驚いてばかりでした。まず、日本の学会は各大学や病院のボスが持ち回りで主催して、その大学のご当地的地区で学会規模に合わせて会場を用意して行われますが、アメリカでは大学のある地域と無関係に学会が開かれるようです。ラスベガスにも大学らしい大学はなく、基本的にはカジノとショーの街でしたが、学会そのものはまったく文化的衛生的にかつ安全に行われ、しかも大勢のボランティアの方々に支えられてよりは温かい雰囲気の中で行われていることにとても新鮮な驚きを感じました。また、1日に4つ選べる2時間強のセッションに参加するのにいちいちお金を払って聞かなくてはならず、それが1つ5000円程度と結構なお値段であることにちょっとびっくりしました。一日聴いたら2万円かかってしまいます。最終日のspecialty dayも1日聴講して2万円でした。おかげで日本で外人の講義を聞くとほとんど睡眠学習(失礼)の私ですが、元を取らなくてはと必死に起きて聞いていました。人が調べて勉強しまとめたことを教えてもらうのですから考えれば当たり前のことなのかもしれませんが、一回1000円の単位つきの教育研修講演しか経験のない私は、「帰ったら働いて稼がなくては…」という思いにさせられました。
 食べ物のお話をします。5人のうち、坂本先生は小児整形、私は手の外科で、あとの3人は脊椎がご専門であり、各ブースの開始時間はまちまちな上に学会場が広いので、前日の夕食を一緒にとって解散すると次の日の夕食まで全員が顔を揃えることはありません。当然朝、昼の食事は自分でまかなうことになるのですが、私は前述のように英語力がpoorでさらに暗算もへたくそですので、朝食にマフィンひとつ買うのもマクドナルドでセットを頼むのも前後の人より時間がかかってしまいます。昼食に「シーザーサラダを下さい」と注文したら「チキンサラダ」が来て、「おれはそんなに発音が悪いのか」と一人で笑ってしまいました。チキンサラダは大変おいしかったです。夕食は、小林先生の「こっちに来たら肉でしょう!!」というご意見で、5人で食べた夕食は1回だけイタリアンでしたがあとはすべて「肉」でした。そのでかいことでかいこと。サラダを頼むとそれもでかくて食べきれないので肉ばかり食べていました。肉とビールに付け合せは芋ですので食べている間は幸せなのですが、後で考えるととても体に悪いことをしていた気がします。まわりのアメリカ人をみると肉のほかにサラダや前菜もしっかり食べていました。そのせいか?上にも横にも巨大な男女が大勢いて「一度こうなったらもう元には戻らないよな」と思いながら横目で見ておりました。こういう太り方をしている人がこれだけの密度でいることは日本ではありえないことで、変な意味での「異国情緒」ではありました。これじゃあ転んだらどこかは骨折しますね。
 ショーの話をしましょう。ラスベガスはアメリカ国内でも有数なショーのメッカだそうでハイレベルなショーが見られるので有名だそうです。われわれも2晩つづけて観劇しました。1つ目は「blue man group」という全身真っ青にペインティングした3人組のコメディーショーで、言葉をまったく出さずパフォーマンスと音楽だけで笑わせるのでわれわれにも十分楽しめました。2つ目は「O(オー)」という水をテーマにした幻想的な水上&水中アクロバットで、舞台上に設けられた大きなプールを使って飛び込み、シンクロナイズドスイミング、空中ブランコ、器械体操などを展開するというものでした。プールの底が上下するので、人が飛び込んだかと思うと次のシーンでは水の上を走り回ります。世界中のシンクロや体操のオリンピック選手を募って(日本人もいました)プロデュースしているとの事でしたが、計算しつくされたパフォーマンスは170ドルという値段以上の価値を感じさせるものでした。どちらも観客をうまく取り込んで「生」の感覚を大事にしているところも見事でした。
 27日、学会主催でSun rise 5km runという催しがありました。文字通り朝5時集合、6時から市内を5km走るというものです。先着500名が受付当日に「売り切れ」でわれわれのメンバーからは小林先生、本郷先生、私の3人が参加しました。老若男女、肌の色もさまざまな世界各国から集まった医師たちがイモ洗いのように集合して一斉に市内を走り出すさまはなかなか面白い光景でした。私はちょっとムキになって走ったのですが、冬場の走りこみ不足の報いで太ったでかい外人に(失礼)大股で越されても抜き返すことができず、とても悔しい思いをしました。全体では65位で、日本人1位を狙いましたが札幌の先生に抜かれて2位でした。残念。ここでも大勢のボランテイアの方々(一部メーカー?)がパンやら果物、ドリンクを準備してくださりとても温かい気持ちになりました。
 勉強して感じたことをちょっとだけお話します。アメリカ人はいいと思ったことをどんどん取り入れる国民性なのでしょうか。たとえば人工関節置換術という手術があります。軟骨が壊れてすり減ってしまった関節は痛いもので、金属やポリエチレン性の人工関節に上手に置換されれば痛みからは解放されます。これは医学の進歩であり、安全に用いられればすばらしいものです。しかし、一方人工のものは血流のない組織ですから感染に弱く、耐久性も使ってみなければわからないところがあります。日本でも膝や股関節では安定した成績が認められていますが、手の外科の分野では耐久性や安定性の面から限られたケースにしか使用されていません。しかし、アメリカの手の外科の世界では部位によっては人工関節が既に普及の段階を超え、議論の中心が機種の選択の段階に至っているものもありました。もし何らかの理由で人工関節をまるごと抜去する事になってしまったら痛くても使えていたものが、まったく使えない状態になってしまう。そのリスクに対する感覚が基本的にわれわれと違うように思われました。しかし、治療に対する戦略は合理的で無駄が省かれており、全体に医療に集中することができる環境が整備されている印象を受け、大変参考になると同時にある意味とてもうらやましく感じました。
 盛りだくさんのスケジュールで頭も体もいっぱいいっぱいの旅でした。成田行きの飛行機に無事乗れたとき、「あーこれで日本に帰れるなー」と思ったのを覚えています。成田に降り立ったときには「温帯湿潤気候の湿り気」がやわらかく体を包んでなんとも心地よく感じました。羽田空港で秋田行きの飛行機を待つ間に坂本先生におごっていただいたラーメンがとってもうまくて涙が出そうでした(少し大げさ?)。いろいろな意味での「アメリカ」を体験でき、日本のありがたみをも良くわかって大変有意義な体験でした。
 最後になりましたが貴重な機会を与えてくださいました島田洋一教授、道中お世話になった皆様に感謝いたします。そしてなんと言っても私が無事五体満足で旅を終えることができたのは本郷先生のおかげです。ありがとう!!紙面をお借りしてお礼を申し上げまして、ペンをおきたいと思います。
 さて、次は私の同期、秋田大学14期生で、五十嵐病院ご勤務の児玉隆仁先生にバトンをお渡しします。ジャズの話かな?乞うご期待!!

 
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