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<ペンリレー>

発行日2009/05/10
秋田赤十字病院  吉田秀一郎
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銀玉にかけた情熱
 
 私が初めてパチンコをしたのは高校1年生のときでした。自転車で近くのパチンコ屋の前を通ったときに、『新装開店』の文字が目に付き、やり方などわからなかったのですが、物珍しさに引かれて自動ドアをくぐったことを覚えています。当時はCR機が出たばかりの頃で、パッキーカードなるプリペイドカードを購入して、プレーしていました。今では現金投資が当たり前なんですけどね。初挑戦の結果はというと、勝ちました!!ビギナーズラックというやつでしょうか。ただ、大当たりしたものの、どうしていいかわからず、高校生であるという負い目もあって店員には聞けず困っていたところ、隣の台のおじさんが教えてくれ、パンクさせずに済みました。当然換金の仕方なども全くわからず、交換所の人に聞いて、嫌な顔をされたことまで、鮮明に覚えています。その後も、新装開店の文字を見ると、「勝てる!!」と思い込んで店内に駆け込みましたが、結果は散々たるものでした。新装開店(最近は耳にすることがなくなった気がします。恐らく、当時も新台入れ替えの意味合いで使っていたのでしょうね)だから大当たりしやすい、なんていうのはこちらの勝手な思い込みなんですが、その当時は簡単に大当たりするものだと決め付けて、パチンコを打っていました。
 その後、大学に進学してからは、パチンコに費やすお金が無かったこともあり、パチンコは年に数回、アパートの近くの廃れた店で行う程度になっていました。しかし、あることをきっかけに、再び燻っていた情熱に火がつきました。そのきっかけというのが、卒業試験だったのです。卒業試験が近くなり、気分がめいっていた時に、同級生に夕食に誘われ、息抜きがてらパチンコ屋に入りました。普段行っている店とは台の種類も客の入りも全く違い、ちょっとのつもりが福沢諭吉先生が2人も居なくなるという結果に終わりました。その同級生もパチンコが好きであるということがわかり、ほぼ毎日日中はパチンコヘ行き、夜に勉強するという勉強スタイルができました。試験期間に入ると、試験前日だけはパチンコに行かず、勉強に専念するという誓いを立てましたが、気づくと友人と二人、ハンドルを握っていたような気がします。今考えると、よく卒業できたものだと感心します。
 毎日のようにパチンコヘ行っていて、毎回勝てるはずも無く、ふと気がつくと、仕送りを貰ったばかりなのにすでに貯金が底をついていました。手持ちの現金では、次の月まで生活することすらできない状態でした。すぐさまパチンコ屋を出て、駐車場から親に電話をしました。「今月、結構模擬試験とか多くて、今まではバイト代から出してたんだけど、ちょっと数が多くなってきたから、10万ほど急いで振り込んでくれないかなあ・・・」と。もちろん、模擬試験など受けるはずも無く、そのお金もパチンコ屋に投資していました。すると、その日から2日連続で10万以上勝ち、あっという間に負け分を取り返せました。こうして、人はパチンコで借金を作ってしまうんだろうな、と、今思い返すと怖くなります。
 現在は、というと、無事に卒業し、国家試験も何とか潜り抜け、医者として日々の生活を送っています。パチンコとはいまだ縁が切れず、新台が出るたびに通っています。ただ、学生時代と違うのは、熱いリーチや大当たりに一喜一憂しなくなったことです。学生時代は、ある意味生活がかかっていたため、負けて帰るときは「ちくしょー(口が悪くてすいません)、負けたぁー」と思っていたものです。今でもパチンコに対する情熱は変わっていないつもりですが、最近では、「あーあ、負けたなぁ」と気合が入っていないことを実感します。
 今のパチンコ業界では、昔のアニメやドラマをモチーフにした台が増えてきていて、打っていて楽しいものです。が、どうしたら学生の頃のようなハングリー精神を持ってパチンコ台に向かえるのでしょうか。でも、夫婦でも、長年付添うと付き合っている頃のアツアツぶりはなくなるとも言いますし、別な種類の情熱に変わった、といった感じなんでしょうか。
 くだらない話を長々と続けてしまい、大変失礼いたしました。結論は出ないまま、筆を置かせて頂きます。
 秋田組合総合病院で大変お世話になった畑澤先生からのバトンでしたが、私の文章は箸休めの様な位置づけにさせていただいて、次回は現在お世話になっている秋田赤十字病院の上司である、伊藤先生にリレーさせていただきます。
 
 ペンリレー <銀玉にかけた情熱> から