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<ペンリレー>

発行日2009/04/10
中通総合病院  角南由紀子
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秋田の旧正月いろいろ
 
 ちょっと前の話ですが、空港であるチラシを目にしました。秋田県内の2月の催しの案内でした。刈和野の大綱引き、上桧木内の紙風船上げ、角館の火振りかまくら、横手のかまくら、六郷のカマクラ行事などなど、秋田にしては珍しく(失礼)文字通りイベント目白押しといった感じの内容でした。どれも楽しそうで、そのチラシになんだかワクワクし、一枚家へ持って帰りました。
 秋田の冬は、九州生まれ・九州育ちの私にとっては大変厳しいものです。暖房があるとはいえ、寒さの程度は九州とは比べものになりませんし、どんよりした雪雲がたちこめる空はなかなか晴れてくれず、だんだんと鬱屈した気持ちになって参ります。雪も最初は珍しくて、積もる度にはしゃいでいたのですが、最近はそういう楽しむ気持ちより「雪かきだわ~」と思う気持ちの方が先に出てくるようになってきています。そんな中のチラシ発見でした。今回は、その内容とその中で感じたことを紹介します。
 まずは、全国的にも有名な横手のかまくら。約400年の歴史があるといわれています。実は今のかまくらになるまでに変遷があったようです。藩政の頃、武家の住んでいる内町では、旧暦1月14日の夜、四角い雪の壁を作り、その中に門松やしめ縄などを入れ、お神酒や餅を供えてから燃やし、災難を除き子供の無事成長を祈ったそうです。一方、商人の住んでいる外町では、旧暦1月15日の夜、町内の井戸のそばに雪穴を作り、水神様(おしずの神さん)を祀り、良い水に恵まれるようにと祈りました。外町では水神様を祀りましたが、内町では鎌倉大明神を祀ったようです。また、当時の子供達の遊びの中に、積もった雪に穴をあけて、その中に入って遊ぶ雪遊びがあり、これら3つがいろいろと変遷を経て、今のような水神様を祀るかまくらとなったんだそうです。かまくらという呼び名も、「かまど」語源説、「かみくら(神様を祀る倉)」説、「鎌倉大明神」説、「鎌倉権五郎景政」説、「鳥追いの歌の歌詞からとった」説とさまざまあり、よくわかっていないそうです。雪の中に鎮座する大小さまざまなかまくらの姿は、幻想的ですよね。
 次に角館の火振りかまくら。絵としては、夜の雪の中に火の輪が踊る幻想的な祭りです。だれでも火を振れるというのがちょっと嬉しい。まず祭りは雪でつくったかまどに薪を入れて燃やすことから始まり、高さ5m位の長木に稲藁などを巻き付けて雪に立てた天筆に火をつけ、正月の門松などを焼き一年の無事を祈ります。火振りは炭俵に1m位の縄を付け、かまどからその俵に火を付けて、縄の先端を持ち、自分の身体の周囲を振り回し、無病息災や家内安全などを祈ります。このお祭りでも水神様を祀る雪室が作られているそうですが、おまつり全体をかまくらと読んでいて、雪室だけを指すものではないようです。
 さらに同じ「カマクラ」と呼ばれる六郷のカマクラ行事。小正月に行われる一連の行事で、豊作、安全繁栄を祈る「年ごい」と凶作や不幸を除去する「悪魔払い」、そしてその年の吉凶を占う「年占い」の三者が一体となっています。この行事は「左義長」の吉書焼きの遺風をうつしたもので、鎌倉初期、二階堂氏が六郷の地頭となり、鎌倉幕府の「吉書初め」の行事をもたらしたものといわれ、豊作祈願の火祭として続いてきました。観光化の進む東北地方のカマクラの中でも、最も小正月行事本来の姿を保ち、住民の伝承欲も高いことから国の重要無形民族文化財として指定されているとのこと。2月11日から15日にわたって行われますが、なかでも2月15日に行われる「竹うち」は、町を南北に分けて竹で打ち合う勇壮なお祭りで、北軍が勝てば豊作、南軍が勝てば米の値が上がると伝えられています。
 ここまで書いてきて、ようやく3つのかまくらに共通するものが見えてきました。「左義長」です。そこで調べてみました。起源は平安時代の宮中で行われた小正月の行事で、清涼殿の東庭で青竹を東ねて立て毬杖(ぎっちょう)三本結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼き、その年の吉凶などを占ったということです。三本の毬杖を束ねたので三毬杖(さぎちょう)と呼ばれたそうですが、なぜ左義長になったのかは不明だそうです。そしてこの行事が全国に広まり、西日本では「どんと焼き」東北地方では「かまくら」となったようです。なるほど確かに、九州では門松や注連飾りを焼くのは「どんと焼き」でした。起源が共通するらしいということにびっくりです。
 ちょっと脱線しましたが元に戻ります。まだまだあります、次は県内ではかなり有名らしい「アメッコまつり」。400年以上の歴史を誇り、この日にアメを食べるとカゼをひかないと伝えられ、大町通りには多くのアメ売り露天が並びます。大館市近くの山から神様がアメを買いにやってくるという言い伝えを再現した「白髭(ひげ)大神巡業」や「秋田犬パレード」などがあるらしいですね。アメッコまつりの次の日には、誰からかアメをいただきます。ありがたくちょうだいしています。「~っこ」がらみでもうひとつ、「犬っこまつり」。元和の昔より、約390年もの長い間続いたといわれる湯沢地方の民俗行事だそうです。その昔、白昼堂々と人家を襲う「白討(はくとう)」という大盗賊がいましたが、湯沢の殿様がこれら一味を退治し、再びこのような悪党が現れないようにと、米の粉で小さな犬っこや鶴亀を作らせ、旧正月の晩に、これを家の入口や窓々にお供えして祈念させたのが、この犬っこまつりの始まりとされています。
 さらに勇壮なのが、刈和野の大綱引き。これは上町(二日町)、下町(五日町)と町を二分し、太さ2.2mの大きな綱を引き合う伝統行事だそうです。引き合いに使われる大綱は、長さが雄綱約64m(42尋)、雌綱約50m(33尋)重さが各々約10トンにもなり、まさに大綱。室町時代から500年以上の歴史をもっており、これも国指定重要無形民俗文化財だそうです。上町が勝つと米の値段が上がり、下町が勝つと豊作になると言われています。これは、六郷の竹うちと同じです。どっちに転んでも皆さんにとっては良いことであるということにちょっと感動。あんなに太いのをどうやって引くのだろうと思っていましたら、大綱から小綱が枝のように出ていて、それを持って引くそうです。
 最後は、上桧木内の紙風船上げです。100年以上の歴史をもつ伝統行事で、武者絵や美人画等が描かれ、灯火をつけた巨大紙風船が冬の夜空に消えていくというちょっと珍しい行事です。この行事の始まりを書き溜めたものはないそうで、伝説では江戸時代の科学者である平賀源内が、銅山の技術指導に訪れた際に、熱気球の原理を応用した遊びとして伝えたとも言われています。源内作と聞くと、ちょっとロマン広がる感じがし重せんか?四方を山に囲まれた上桧木内地区では、稲作と山仕事が古くからの産業だったため、以前は「五穀豊穣」や「無病息災」を祈願することが多かったそうですが、現在はもっとたくさんのことをお祈りするとか。
 このように、実にたくさんの独特の行事が残っていて、それを受け継いでいる方々がいらっしゃることにまず感動しました。そして一番寒さが厳しいときに、これからやってくる新しい一年をみんなで祈るという心豊かな行為に、また感動でした。残念ながらこれらの祭りの中で、自分が実際に訪れたことがあるのは横手のかまくらだけです。しかも当時は由来などもしらず、ただ一面の雪景色と始めて見る本物のかまくらに感動するばかりでした。次回訪れるときは、これらの歴史もふまえながら町中を歩いてみたいと思いました。紙の上だけでこんなにワクワクなんですから、きっともっとワクワクすることでしょう。 秋田に住んでもうすぐ2年になりますが、いつも何かしら新発見の秋田です。次は梅と桜と菜の花と、一斉にきれいな花が咲く、大忙しの春を楽しむ予定です。
 次回はいつも患者さんのことで助けていただいている、中通総合病院整形外科の成田裕一郎先生です。宜しくお願い申し上げます。


 
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