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<ペンリレー>

発行日2009/03/10
秋田組合総合病院  畑澤 千秋
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僕はSLの機関士で
 
 子供の頃、SLは憧れでした。通園、通学路に手形第三踏切があり、SLが通過するたびにいつもずっと見上げていました。しかし昭和40年代に日本海縦貫線と奥羽南線の電化が完成し、SLを目にする機会は徐々になくなってしまいました。たまに大森山公園や横手公園などに展示されている車両に触れ運転台に上ってみても、それなりの感動と郷愁を覚えるものの残念ながらそれは動かずに眠っている機械でした。数年前北上線にD51がイベント列車として運行されましたが、その時は勇んで見に行きました。山の中を煙と蒸気を吐きながら疾走する姿やこだまする音に心は躍り、そして全く忘れていた石炭のにおいがとても懐かしく感じられました。
 ある時何気なくつけていたテレビの番組で、SLの運転体験のことが取り上げられていました。覗いてみると実際にレポーターが運転をしており、その施設では誰でも運転を体験できるとの説明でした。その時はそれがどこなのかまでははっきりと確認することはできませんでしたが、これはいつか行ってみなければと思いました。H16年に職場を移ることになりまとまった有給休暇を頂くことができましたので、この機会逃すまじ、と調べてみました。北海道三笠市の三笠鉄道村にSL機関士体験クラブというものがあり、そこでSLの運転を体験できるのでした。休暇の使い道は、おのずと家族サービスも兼ねた北海道旅行となりました。
 8月の下旬に北海道へ行き数か所を巡った後、お目当ての三笠鉄道村へ行きました。三笠市は札幌市と旭川市のおよそ中間に位置し、鉄道村は旧国鉄幌内駅跡を中心に鉄道記念館や公園、またSL、気動車、列車の動態・静態展示、遊園地などが整備された施設でした。当日は前日の激しい雨も上がり快晴でしたが、まだ夏休み期間であるにもかかわらず人出はあまり多くありませんでした。SL運転体験の希望者が全国から殺到しているであろうからと順番待ちを覚悟していましたが、肩透かしでした。そういえば予約も希望の日、時刻にあっさりと取れていました。
 SL運転体験クラブでは、実際の運転体験に先立ち学科講習を受けなければならないことになっています。当日は講師が出張不在とのことで、ビデオでの講習となりました。受講者は私一人でした。ビデオの内容は北海道の鉄道の歴史とりわけ幌内鉄道の歴史についてでした。幌内鉄道は幌内炭鉱からの石炭輸送を目的に、明治15年に日本で3番目に開通した路線で、幌内~小樽を結び北海道開発の大動脈となった鉄道でした。北海道開拓とともに鉄道も発展しそして衰退していった歴史には感慨深いものがありましたが、具体的な運転操作法や構造、法規などの講習を予想していたので、学科講習料の10000円はちとお高いような気になりました。しかし多少鉄分を有している私には、それでも十分楽しめる内容ではありました。
 学科講習終了証明書の交付を受け、一刻も早く運転体験に進みたかったのですが、SLの「罐がまだ十分に温まっていない」とのことで、今しばらく待たなければなりませんでした。「罐がまだ温まらない……」なんと本格的でしょう、むしろ嬉しくなってしまいました。鉄道記念館内の展示を見学しながら待ちましたが、その内容は豊富、専門的で、規模も他の同種施設に負けないものでした。鉄道模型のジオラマなどは「これでもか」というもので、それらをほぼ貸し切り状態で見学できました。やがて罐が温まり蒸気も溜まりSL運行可能との案内を受け、線路へと向かいました。
 まずは詰所で指導の機関士に挨拶し、あこがれの紺色の作業服と帽子を貸与され着替えました。SLは昭和14年製造のS-304型で、現役時代は今の室蘭製鉄所で主に構内作業に従事していたようです。車体サイドに大きく書かれた「テツゲン」「暖房はコークス」の文字がおしゃれでした。鉄道村では客車を連結しており、乗客を乗せて走るアトラクションとしても営業されています。
 いよいよ運転台に。先に乗り込んでいたもう一人の機関士にも挨拶をしました。運転台では今まさに燃えている罐の熱が、思った以上に強烈でした。狭い運転台の中で、操作レバーは大きく、直接あるいはリンクを介して作動部に結合されていました。また計器は少なく、水量計、蒸気圧計は直接罐の状態を反映していました。SLはいわば鉄の馬であり、その運転は、調子を見て、聴いて、触れて知り、そして手綱や鐙で意のままに操る、というまさに乗馬のようです(乗馬の経験はありませんが)。
 各操作レバーや計器の説明が一通り終わると、指導機関士がまず運転の見本を示します。汽笛を鳴らしレバーを操作すると、SLはゆっくりとあの独特の蒸気音を速めながら動き出しました。約350mのコースを進行し、終端でブレーキ、停止。反転レバーを操作し後進、もとの位置に戻るまでが一回の走行です。指導機関士の操作の様子を見逃すまいと必死に見つめていました。
 次は実際に運転です。しかし運転席に座ると、先ほど習った操作手順はどこかに飛び去り頭の中は真っ白になりました。研修医の頃に始めて手術をやらせてもらったときのようで、何をどう操作してよいかわからなくなってしまいました。指導機関士が丁寧に指導してくれ、その指示どおりに操作して何とか往復することができました。もう一度チャレンジすると、今度は大分操作手順を覚え調子に乗ってきました。1回の運転体験は5000円でしたが、次の運転を待っている人もおらず、せっかくでもあったのでもう一回、さらにもう一回と運転を重ね、さすがに四回目には大分余裕ができました。ドラフトの操作も一丁前にやってみましたが、SLのシリンダー部分から勢いよく線路脇に蒸気を吐き出すのは、汽笛を鳴らすのとはまた別の爽快感がありました。後進の際には運転席の窓から身を乗り出し、列車後尾の誘導員(エプロン姿の女性でしたが)が振る旗をみながら走行することも、また本格的と思えました。
 やがてほかにも運転体験を希望する人がやってきたので運転席を代わりました。その人は腕に「機関士見習い」の腕章をつけていました。SL機関士体験クラブでは10回以上の運転体験者には「機関士見習い」、30回以上には「補助機関士」、50回以上で「機関士」の腕章が許可されることになっており、この人は相当つぎ込んでいるようでした。さすがに運転操作は手慣れており、あたかも後期研修医と言えましょうか。話を聞くと、当初札幌市から通っていたが遠いので、希望して近隣に転勤し通い続けているのだそうです。好きな人はいるものです。
 念願がかなって大満足の私でした。娘、息子も私のかつてと同様に、SLとそれを運転する父親の雄姿を憧れの眼差しで見上げている・・・・・・はずでした。しかし一応デューティーとしての(?)声援をくれた後はさっさと遊園地へ移動し、ブランコやシーソーに夢中になっていました。
 一地方都市でこのような施設を維持、運営していくことはかなり大変なことではないかと思います。案の定三笠鉄道村では来訪者の減少が続き、また市町村合併がからみ公的補助も尻すぼみのようです。しかし一般人がSLの運転を体験できることはめったになく、鉄道村にはいつまでもSL機関士体験クラブを続けていただきたいものです。H17年に三笠鉄道村再生プロジェクト推進協議会(みかさS-304)が立ち上げられ、人を呼ぶあるいは収益を上げるためのいろいろな方策が模索されているようです。少なからず「機関士見習い」「補助機関士」の人がいるはずで、彼らの「機関士」昇任(までの授業料収入)にも期待したいと思います。
 次は当院小児科で後期研修を行ない、いつも一緒に仕事をしている、成長目覚ましい吉田秀一郎先生にお願いしました。
 
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