新屋は雄物川を挟み南北に広がる地域。江戸時代より水運と商業を支えてきた川の西端は日本海に抜けます。河口付近に「ももさた」と名づけられた浜があります。アイヌ語の「清水の湧き出でる地」が語源とか。愛嬌たっぷりのカエルの像が建っていたくらいで夜は街灯もなく真っ暗。砂と赤い実を付けるはまなすの茂みだけ。要するに何てことのないただの浜です。思いきり気どった表現をすれば星の輝きすら邪魔しない静謐の海辺。 さて初冬のこの時期、夕方七時少し前、雄物川沿いの道路を西へ向かって車で走ります。西バイパスヘ降りるため道のカーブにあわせ左にハンドルを切ると、ちょうど真ん前に「ももさた海岸」の松林が夜目にもくっきり黒いシルエットで浮かびあがります。松の木々のてっぺんからほんの少し左上に目をやると、いたって見つけやすい星ひとつ。そうご存じ宵の明星です。楽譜の読めないわたしでも知ってるワーグナーの歌劇に出てきます。「タンホイザー」の第三幕で、やたらにもてる遊び人の騎士タンホイザーの真面目な友人が歌う「夕星の歌」です。それが「ももさた海岸」上空にまたたく金星です。「アーベント・シュテルン~愛しいひとの行く手を照らしたまえ」と歌い上げられる星が、南西の低い空にひときわ明るく輝き国道七号線を照らします。一目でこれと特定できる星を見つけるとなぜかうれしいものです。誰かに自慢できるほどの知識や薀蓄はありませんが。 天文にさっぱり興味のないわたしが知っているのは北斗七星くらいです。 まだ子供が小さかった時分、家族旅行で磐梯山中に泊まった夏があり「星とホタルを見る会」に参加しました。ホタルは残念ながら減る一方とのことでしたが山奥で観察する満天の星は期待以上にうつくしいものでした。 流れ星がきらめく放物線を描きながら闇にすうっと消えていく瞬間を目の当たりにしました。いいオヤジが子供のようにはしゃいでしまいました。 命を預かる仕事に向き合う日常ですが、星の行く末を見届けるのは不思議な感覚です。宇宙のどこかで星が生まれ、かつ消える。すでに存在しない星の残影を光として見るというのもあまり現実味がありません。 星の寿命という発想は命あるものの生涯をたどるのに似ています。未熟な若さ、知識と分別の年代、やがて老いて到達する精神の高みまで。ロマンティストとは言い難いわたしでも、ある種感慨をおぼえます。 人工衛星がゆっくり頭上を通過するのを確認できたときは実に嬉しかったものです。「君か。偉いぞ。誰も見てないのにさぼらずに地球の周りを回っていたんだな」と一声かけてねぎらってやりたい気分でした。 これから星がきれいな季節。キャラに似合わない話をしていささか照れました。
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