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<ペンリレー>

発行日2008/08/10
中通総合病院  小貫 学
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「ジジ様」と私
 
 小さい頃から猫は好きでしたが、触る機会はなく、田代町の母の実家で飼っている猫に会うのが楽しみでした。ある時、怖いもの知らずの学少年は実家の猫にイタズラをしてしまい、右中指を咬まれて流血。(しかし病院に連れていってもらった記憶はない・・・)それがトラウマとなり、可愛いけれど触れないという状況に陥ったのです。
 その後も何度か猫に触ろうとしましたが、体が前に出ません。何とかサッと撫でるくらいは出来るようになりましたが、自分で抱っこしたり自宅で飼ったりなんて一生無理だと思っていました。

 独身の頃から妻が飼っていた8歳のオス猫、ジジ。ご想像通り「魔女の宅急便」から名前を取っており、もちろん黒猫です。整髪料をつけたお父さんを連想させるようなしっとりとした毛ヅヤ。漆黒と思いきや、左脇腹には毛の白い部分が2ヶ所ありました。誤って練炭コタツに閉じこめられ、一酸化炭素中毒となって失禁、火傷するも断末魔の叫びで救出され、奇跡の生還を果たした時の勲章だそうです。2ヶ所あったのは同じ誤ちを2回繰り返したためとか・・・すごい猫なのか、ただ鈍臭いだけなのか・・・
 彼女の部屋に遊びに行って初めてジジを見て、その澄んだ青い瞳に魅せられ、すっかり気に入ってしまいました。しかしこのジジ、一度病気をしてからというもの、すっかり人間嫌いになっており、彼女以外には簡単には触れさせないのです。それから私のご機嫌伺いが始まりました。飲んだ帰りに寿司折を持ってゆけば、ジジには贅沢にもトロを差し上げ、朝市で買った新鮮な魚をすぐ捌いては刺身として差し上げ・・・
 ジジとの関係がどれだけ良くなったかはわかりませんでしたが、私と彼女は結婚することとなり、私の部屋で一緒に住むこととなりました。引っ越したばかりの頃は緊張して部屋パトロールに専念していたジジも、慣れてしまえばすっかり我が家。そして家主として君臨していたはずの私の地位は再び下がり始めました。ジジにしてみれば、妻(母ちゃん)>ジジ(僕)>>>私(変な男)なのです。妻には逆らえないのか、私にだけ悪戯をしてきます。夜寝ているとわざと私の首や胸の上を歩きました。どうやら私は「ジジ様」に『渡り廊下』の称号を頂いた様でした。
 しかしその頃不幸な出来事が起こりました。妻の父の突然の他界。彼女はしばらく実家に戻ることとなり、残されたのはジジと私。微妙な距離を保ちつつすべての面倒を見なければなりません。ジジはニャーニャーと鳴きますが、それが「ご飯が欲しい」のか、「トイレ掃除しろ」なのか、「母ちゃんどこ行った?!」なのか全く理解できません。ジジの言動が理解できていなかった私はオロオロするばかりで、さながら映画「クレイマー、クレイマー」のよう。妻と度々メールで連絡を取りながら何とか1週間を過ごし、私はジジ様に『召使い』の称号を頂きました。
 寒い冬の朝はジジは決して一番には布団から出ず、『召使い』の私がファンヒーターのスイッチを入れるのを待っています。部屋が暖まった頃にようやく起き出し、暖房の前に陣取るのでした。
 こういった努力の甲斐あってか、ジジとの距離は徐々に近くなり、やがて『弟』の称号を頂きました。夜は私の腕枕で寝るまでに進歩したのですが、私が寝付くと「ようやく寝たか。」と確認して立ち上がり、妻の傍らで一緒に朝まで寝ていたようです。
 その後3度の引越の末、ついに念願のマイホームに住むことになったのですが、ワックスの匂いが気になったのかジジはこの家で初めてオスの本領を発揮し、マーキングに明け暮れました。ピッカピカの床を臭いおしっこで汚され、妻は泣きながら家中を掃除して回ることとなります。
 ジジが12歳になり、人間で言えば還暦を過ぎた頃、我が家に新たなメンバーが加わりました。千秋公園の八幡秋田神社から転がり落ち、一晩震えていたところを保護された仔猫を貰い受けたのです。名前はきな子。(メス三毛)かなりのお転婆です。高齢のジジにはちょっと負担かと思いましたが、時に優しく時に厳しく、良く躾けてくれていました。ただし体力的には厳しかったらしく、一緒に遊ぶには限界があったようで、きな子が大きくなってくると防戦一方でした。きな子は触られるのが大好きな子で、人と遊ぶのも大好き。極度の人見知りのジジには負担だったお客さんの接待係もきな子に譲り、ゆっくり寝ていることが多くなっていきます。
 13歳になった頃、急に声が上擦るようになり、獣医さんに診てもらったところ、猫伝染性腹膜炎(FIP)との診断。現在のところ根治的な治療はなく、ステロイド等で延命を行うしかないと告げられました。ジジは病院も投薬も大嫌いで、それがまた大きなストレスとなってしまいます。7月に「年明けまで持たないでしょう。」と宣告されました。涙が止まりませんでした。いつまでも泣いていたのは妻ではなく私のほうでした。
 9月。食事は摂れなくなり、日に日に痩せ衰えていきました。
 10月。出張から帰った我々を待っていたかのように、ついにジジは妻の腕の中で息を引き取りました。私が医師としてやってあげられたのは死亡確認だけでした。
 きな子はジジを失って以来、我々がちょっと外出しただけでも声を枯らして鳴くほどの寂しがり、ベタベタの甘えん坊になりました。
 そんなきな子にと、我々は仔猫を探し始めました。結局選んだのは、黒猫でした。メス猫で名前はあずき。(きな粉とあずきでおはぎ?)これがきな子を遥かに上回るお転婆娘で、今や体力的にも互角。追いかけっこに負けそうになると、きな子は「シャーッ!!」と威嚇するという卑怯な手を使います。
 それにしても、このあずきという黒猫はジジが送り込んだ様な気がしてなりません。自分では十分遊んでやれなかったきな子のためにと。
 ジジは人見知りで人に触らせることは殆どありませんでしたが、何故か人には人気がありました。その縁で我々も大阪などにも友人が出来、さらに輪が拡がっています。人と人とを結ぶ猫だったのでしょうか。その最初は我々夫婦だったのかもしれません。骨になって屋根裏部屋の小さな箱におさまったジジは、今も我々夫婦と猫たちを温かく見守っています。
 次回のペンリレーは、我が家の猫たちにも好かれ、ICLS講習会などでいつもお世話になっている、当院救急部の神垣佳幸先生にお願いします。
 
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