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<ペンリレー>

発行日2008/06/10
秋田往診クリニック  市原 利晃
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転校から学んだこと
 
 父親の仕事の都合で、小学生と中学生の時に転校を経験しました。大阪城のすぐ近くで生まれ、その後に京都と大阪のおよそ中間地点に位置する枚方市の小学校に入学しました。その頃は阪神タイガースにあこがれ、ねだって買ってもらった阪神タイガースの野球帽を大切にかぶり、冬でも半ズボンを履くことがかっこいいと信じていました。長期休みのたびに山形県にある両親の実家に寝台特急「日本海」に乗って帰省していたため、いつの間にか鉄道に乗ることが大好きな“乗り鉄”になっていました。そして小学3年生が終わる頃、父親の実家の山形県酒田市へ引っ越しが決まりました。酒田と大阪はそれまでに何度も行き来していたため、またすぐに帰って来ることができると思っていました。枚方市立明倫小学校最後の日も、またすぐに枚方市の友達と会うつもりで、校門をいつものように出て酒田に向かいました。
 それまで自分の世界のすべてである小学校では関西弁で会話をしていました。東北訛りの庄内弁は祖父母が話す特殊な言葉と認識していましたので、酒田の小学校で同級生が話す庄内弁を聞いた時は違和感を覚えました。周りの人みなが訛っているように感じ、会話の半分程度しか理解できませんでした。それでも、友達を作ろうと枚方市の小学校ではやっていた「魔法のけむり」(注:指に塗布して擦ると、煙のような物が出てくるおもちゃの一種。駄菓子屋さんで売っていました。)を同級生に見せて話題作りを試みました。興味を持ったガキ大将が、それを取り上げようとしたため、思わず
「アカン!」
と口走っていました。すると、彼が言いました。
「おまえ、なまっとるのー!」
 自分では関西弁が標準語で庄内弁は訛りと思っていただけに、酒田の小学校では自分が訛っていると思われることにびっくりしました。「おまえがなまっとるんやないか!」と言い返そうと周りを見ると、他のみなも彼に同意している雰囲気です。「魔法のけむり」は取り返しましたが、もう大阪の友達には会えない事を予感し、新しい世界に適応することの必要性を知りました。
 酒田にもたくさんの友達ができた中学2年が終わる頃、秋田市の山王中学校への転校が決まりました。新年度の酒田第五中学校3年生のクラスに自分の名前はなく、また環境が変わる事を実感しながら友達との別れを惜しんで秋田へ入りました。6車線の山王十宇路横断歩道を信号点滅内に渡りきれない気がして足早に横断しながら、山王中学校に通い始めた時は、酒田での経験もあって極力標準語に翻訳して会話をしていました。現在ではすっかり慣れ親しんでいる、秋田時間の存在に悩まされていたのもその頃でした。しかし、秋田県民の良い人柄に助けられながらたくさんの良い友人ができ、秋田高校に入学しました。初めて入学した学校を卒業できたのが秋田高校でした。そこでも、たくさんの良い友人に巡り会いました。その後、秋田大学医学部を卒業し、あこがれていた外科に入局しました。初めてメスを持ったときの手のふるえと感動は忘れられません。
 環境が変わるたびに、小学生の転校時を思い出します。自分の見ている世界は実際の世界のほんの一部であり、それが積み重なって日常が成り立っていること。世界は日々動いており、そこに適応する必要があること。自分一人では生きていけないこと。そしてなにより、自分の世界を生かすのも楽しむのも自分次第ということ。転校を経験して、それらのことを学んだように思います。2007年には秋田往診クリニックを開業し、医師会に入会させていただき、また環境が大きく変わりました。その変化を楽しみながら、未来につなげていきたいと考えております。今後ともご指導よろしくお願いいたします。
 先日、中通病院で秋田高校の同級生でもある小貫学先生と一緒に手術をする機会を得ることができました。その良い時間を共有できた喜びを込めて小貫先生にリレーさせていただきます。
 
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