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<ペンリレー>

発行日2008/05/10
秋田組合総合病院  佐藤 朗
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枝豆
 
 私が小学生の低学年の頃、祖父が仕事の片手間に畑をやっておりましたため、祖父に連れられて、畑仕事を手伝うことが時々ありました。趣味というよりは、生活の糧を得る手段として畑をやっておりましたので、トマト、キュウリ、ナス、さやいんげん、大根、じゃがいも、さつまいも、さといもなど、それなりの種類の野菜を作っていました。収穫の時期になると、採れ立ての野菜をその場で食べることができるのが、子ども心に楽しみでした。中でも好きだったのが、枝豆です。祖父が畑の隅で火をたいて、石で作ったかまどに大きな鍋をかけて、湯を沸かし、枝豆のなっている茎を、葉を落として、丸ごと鍋に放り込んで煮ていました。そして、枝豆がたくさんなっている茎ごと手に持って、枝から豆をむしって、走り回りながら、食べていました。今考えると、大変豪快な食べ方だったと思います。私が小学校4年の時、私の実家は引越しをして、それをきっかけに祖父も畑仕事を止めてしまい、私も畑仕事や枝豆のことをほとんど思い出すこともなく、30年余りが過ぎました。
 数年前の春、県北の病院に転勤になったときのことです。そこは山間部にある小さな町で、私が生まれ育ったところに似ている雰囲気がありました。病院の職員住宅に住むことになったのですが、その住宅の庭に6畳ほどの花壇があるのを見つけました。こういう自然が多いところに来たからには、それにあった何かをやってみよう、と漠然と考えていましたので、どうせ職種柄病院をあまり離れられないのであれば、拘束時間を使って、畑仕事でもやってみようか、と思い立ちました。そして、思い当たった野菜は「枝豆」でした。子どもの頃のように、収穫した枝豆を茎ごと煮て、豪快に食べてみたい、私の子ども達にもそのような経験を味わってもらいたい、という思いに急に駆られてしまったのです。
 そこで、まずは、野菜作りの入門書を買ってきました。その本には野菜毎に栽培の難易度が星の数で評価してあり(難易度が最も高いのは☆5つ、例:キュウリ、メロンなどは☆4つ)、枝豆のところをみると、なんと難易度は☆1つでした。野菜栽培に関してど素人の私にとって、そのことには大変勇気付けられました。
 最初に土の整備から始まりました。地面にしゃがんだ状態で、土以外のものは花壇の外へ拾い出す作業です。まず、最初に感じたのは、地面ってこんなに汚かったんだ、ということでした。中学生のときに学校でやった草むしり以来、地面や土を至近距離で直視することなど皆無に近い生活を送ってきましたため、あらためて、地面にしゃがんでみて土をいじってみると、石ころ、草の根っこ、ビニール袋、木の枝、釘、空き缶、瓶のかけら、元が何かわからない機械、名前もわからない小さな虫たちなど様々なものが出てくるではありませんか。たかだか6畳ぽっちの狭い花壇ですが、仕事から帰ってきて、一日30分~1時間ほどかけて、きれいになるまで一週間ほどかかりました。次に、地面を耕す作業です。近くのホームセンターで買ってきた鍬を握って、地面に振り下ろし、刺さった鍬の歯を引き起こして、土を掘り起こします。この時にも石や草の根、ごみなど様々な異物が出てきますので、それを取り除きながら、耕していきました。2、3日すると、全身の筋肉痛が出てきて、早くも途中で止めたい気分になってきました。私がへっぴり腰でヨロヨロと土を耕しているのを見るに見かねてか、隣に住んでいる元気な若手の内科の先生も耕すのを手伝ってくれました。
 職員住宅の周囲には一般の方々の住んでいる住宅があり、外に出て作業をしていると、必然的に近所の方々にお会いすることになります。中でも、お向かいの兼業農家のおじいさんは親切にしてくださり、いろいろとアドバイスをしていただきました。枝豆を作ろうとしていることを話しましたらば、「枝豆やるんだったら、うちの豆の種をやるよ」といって、二種類の枝豆の種をいただきました。また、病院の職員の方々も家の前を通るので、私が畑仕事をやっているうわさはすぐに広まってしまいました。種をまく前から、筋肉痛がつらいので、やっぱり止めました、とは言えない状況に追い込まれてしまいました。
 一通り耕して、土の中の異物を取り除いたら、土壌の準備です。全く勝手がわからなかったのですが、全てをお向かいのおじいさんに聞くわけにもいかず、入門書が頼りでした。作物ごとに石灰や肥料の量が違っていて、入門書によると、枝豆の場合は、「苦土石灰を1㎡あたり100g散布する」とあり、そのとおりに散布しました。「畑の土は作物のベッド」とありましたので、フカフカになるように、さらに2回ほど満遍なく耕しました。入門書どおりに種まき1週間前に、堆肥を1㎡あたり2kg、化成肥料を100gすきこんで、幅80cmほどの畝を4列作りました。その頃には、5月の初め頃になっていました。そして、種まきです。40cm間隔毎に植え穴を作り、ひとつの植え穴に3粒ずつ点まきにして、土をかけます。このまま、芽が出なくて豆が腐ってしまうんじゃないか、とか、カラスにほじくられて食べられてしまうんじゃないか、など不安を募らせながらの種まきでした。
 胸をドキドキさせながら、待つこと約1週間で芽が出てきました。ひとつ芽が出ると、次々に植え穴から芽がでてきました。朝露に光り輝きながら、土を起こして凛々しく立ち上がっている豆の芽を見ていると、こういうのを生命力というんだなあ、と今更ながら感心してしまいました。結局、まいた豆の種の9割方が発芽しました。そして、その後に、厳しい作業が待ち構えていました。入門書によると、「本葉2~3枚の時に間引いてやり、2本立ちにする。」とあります。3つ芽が出ている植え穴からは1つを選んで引き抜かなければならないのです。芽が出たことに感動した分、その選別作業はつらいものでした。何とか選んで間引いたものの、抜いた芽がもったいなくて、迷った挙句、畑の隅にあまった部分がありましたので、そちらに小さな畝を作って、植えてしまいました。
 枝豆たちは目に見えて日に日に成長していきました。人でも動物でもそうだと思うのですが、何かが成長していく姿を日々見ていくのは、実は心癒されるものだということに気がつきました。身の丈30cmほどになった時点で、「摘心」という作業を行いました。これは、芽の一番最先端の部分を切ってしまい、背丈が伸びすぎないようにすることと、その分、横枝を伸ばすようにするために行います。また、枝が多くなってくると、「剪定」という作業も行わなくてはなりません。枝が多すぎると、豆が小粒で小さなものばかりになってしまうので、頃合をみて、枝を選んで切り落とします。しかし、これらの作業は、枝豆たちが枝葉を伸ばしてすくすくと育つのをみていると、結構、つらいものがあり、「剪定」は中途半端になってしまいました。後で、枝が増えすぎて、重みで茎が倒れてしまったり、収穫の時に、小粒の豆が多くなってしまったり、という事態が起きてしまいました。
 7月の終わりのある夜のことです。風が強いので、天気予報を確認してみると、台風が秋田の近くを通過することがわかりました。次の日の朝早く、病院から呼び出されたときに、花壇を見てみると、枝豆たちの大半が地面に倒れている光景が目に飛び込んできました。大変衝撃的でしたが、とにかく病院に行かなくてはならず、そのまま、見捨てていきました。その日は忙しく、家に帰ってきたのは、夜の8時過ぎでした。くたくたに疲れていましたが、枝豆たちをそのまま倒れたままにしておく訳にはいきません。真っ暗な中、家の窓からくるわずかな明かりを頼りに、地面にしゃがんで、雨と泥にまみれながら、倒れた枝豆を一本一本おこして、再度倒れないように、盛り土をしていきました。その甲斐あってか、倒れた枝豆たちは腐ったり、枯れたりすることなく、何とかリカバリーできました。
 8月に入り、枝の付け根から出てきた枝豆のさやがだんだんと膨らんできました。お盆が過ぎる頃になると、向かいのおじいさんも「そろそろ収穫してもいい時期だ。」と教えてくれました。しかし、私が勤務していた病院は忙しく、なかなか収穫する時間が取れません。結局、二種類あった枝豆のうち、一種類の一部は黄色く乾いてしまい、収穫するタイミングを逸してしまいました。当初、茎ごと煮て豪快に食べるのが目的でしたので、収穫の際に、枝豆のビールパーティーでも開催して、周囲の人たちに茎ごと振舞えばよいのでしょうが、元々飲み会も人付き合いも苦手な私にそんな甲斐性がある訳もなく、9月にはいった天気の良い土曜日の夕方に一気に収穫を行いました。6畳ほどの耕地面積ですが、最初の予想を超えるかなりの量が取れて、スーパーの大きなビニール袋6~7袋ほどになりました。折角ですので、私が無事にやっていることの証にもなると考えて、お世話になった人たちに収穫した枝豆を配ることにしました。豆の種を頂いたお向かいのおじいさんの家、一緒に仕事をしている先生方、病棟のスタッフ、当直の応援に来ていただいている大学の先生、大学の医局、実家の両親などに送りました。
 結局、最初のきっかけになった「茎ごと煮て食べる」のは無理でしたが、家の鍋に入る程度の大きさで「枝ごと」煮て、家族と一緒に食べました。採れ立ての枝豆は、畑仕事をしているときにいつも嗅いでいた土の香りが口いっぱいに広がって、今までで食べてきた枝豆とは全く違った格別の味でした。大地の恵を実感する、というのはこういうことなのか、と思いました。また、私の子供達も時々草むしりを手伝ったり、毎日枝豆の成長を見てきましたので、こうやって枝豆を育てて、収穫して、食べたことが、大人になったときのよい思い出に残っていてくれれば、と親として願ったりもしました。
 今は秋田市に住んでいますが、病院の通勤の途中にも、広々とした枝豆畑があり、青空の下、一面の枝豆畑が風にそよいでいるのを見ると、あの頃のことがいろいろと思い出されて、懐かしく感じます。
 次は、同じ医局に所属していて、県北に勤務していた経験がある、市立秋田総合病院産婦人科の山本博毅先生にお願い致しました。
 
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