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<ペンリレー>

発行日2008/04/10
市立秋田総合病院  小関 史朗
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家に来てくれてありがとう。
 
 私は犬がにがてである。正確には怖いといったほうがいいだろう。その原因は幼いころの思い出にあるのかもしれない。私は、小学校4年生の頃、山形市に住んでいたのであるが、近所に犬を飼っている人が引っ越してきた。その飼い主と私と2歳年下の妹と一緒に白い大型犬にお菓子を与えた時のことであった。やがて飼い主がいなくなり、私と妹でその犬の頭を撫でようとしたのだが、突然その犬が妹に襲いかかろうとしたのであった(今思えば、たんに犬は妹と遊ぼうとじゃれついてきただけかもしれない)。その時以来、私は犬がダメである。犬のほうもどうも犬嫌いの人がわかるようだ。小道などでどうしても犬とすれ違わなければならないことがある。その時は、極力、犬と目を合わせないようにし、通り過ぎようとするのであるが、噛み付かれると怖いので、ちらっと見てしまうことがある。飼い主がリードを持っている場合はいいが、犬がフリーの状態でいる場合、必ずといっていいほど吠える。歯を剥きだしてここぞとばかり吠えまくるのである。以前、秋田大学付属病院の周囲の遊歩道を歩いていた時もそうであった。小さな白い犬であったが、突然私の前に現れるや否や、突然吠えかかってきたのだった。私は反射的に持っていたバックを前に突き出して身を守りながら、後ずさりをしていた。冷や汗をかきながら。どのくらいの時間がたったのであったろうか。これまた突然に飼い主が現れ、その犬を大事そうに抱き上げ、馬鹿にした口調で「こんな小さな犬でも怖いの?」と。詫びるわけでもなく、逆に私を非難するような態度であった。思わず、「おいおい、話が違うだろう。こちらはむしろ被害者だよ。犬を散歩させる時はちゃんと見ていてくれよ。」と言いたくなる気分であった。
 そんな私が犬を飼うことになろうとは。忘れもしない平成8年5月26日のことであった。妻と娘“ちゃんと世話をするから”という密約が成立し、私が自宅に帰ってみるとあの生き物が部屋中を駆け回っていたのであった。平成8年4月16日生まれのシェルティー(シェットランドシープドック)という種類の犬である。毛並みが茶色なので、娘は“チャー”と名付けた。犬が怖いとはいっても生後1ヶ月の子犬である。噛まれてもたいした傷ではないだろうと私は恐る恐る頭を撫でてみたのであった。体を触ってみると、カサブタが付いている。私も皮膚科医の端くれ。早速、カサブタを採取し、苛性カリ標本を作製してみると、なんと疥癬虫とその卵が沢山見つかったのだった。危うく“犬疥癬の家族例”との症例報告ができあがるところであった。
 それから11年半の間チャーは私たち家族にとってはかけがえのない仲間として、色々な思い出を残してくれました。朝になると必ず私の枕元にやってきます。前足で3回枕をそっと擦って“朝になったよ。起きようよ。”と訴えます。私が狸寝入りをしていると、フーとため息をついて自分の布団に戻っていきます。目があったとたん、尻尾を千切れるように振りながら朝の散歩のおねだりです。おかげで私は散歩の後にまた眠りに入る二度寝の習慣がついたこともありました。家の前の空き地を弾丸のように駆け回って遊んだこと、小泉潟公園の水心苑で小川を跳び越そうとかっこよくジャンプはしたまではよかったが失敗して下半身ずぶ濡れになったこと・・・。子供たちが秋田を離れてからは、一人で留守番をする機会も増えてきました。毎日、窓から外を見張っていて、私たちの車が家の前に止まると、狂ったようにワンワン吠えながら出迎えてくれました。別れは突然やってきました。去年の11月30日のことでした。いつものようなお出迎えの鳴き声がしない、どうしたのだろうと部屋に入ったとき、窓際でぐったりしたチャーがいたのでした。妻といっしょに動物病院に連れていき、治療をしましたが、二度と元気になることはありませんでした。虹の橋を渡って天国へいったのでした。
 チャー、家に来てくれてありがとう。いつまでも忘れないよ。

 次はいつもお世話になっている中込内科医院の中込 晃先生にお願いしました。
 
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