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<ペンリレー>

発行日2008/03/10
はらだ小児科医院  原田 健二
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鉄道少年だった頃の、とりとめのない話
 
 私は、小さなころから鉄道が好きだった。
 小中学生のころ、日曜日になると朝早く起きて、上野駅や東京駅に列車や電車をみにいった。九州から戻ってきた寝台列車、さくら、あさかぜ、みずほ、富士など、電気機関車EF65の顔に付いているそれぞれの円形のトレインマークをみるたびに胸をときめかせて写真をとった。その列車から降りてくる乗客が、何ともいえずにうらやましく、列車なかごろに配置されている食堂車には一生のうちに一度でもいいから乗って、カレーライスなどを食べてみたいと思った。私は、乗客がいなくなったそれらの寝台列車に乗り込んで、B寝台の寝心地や、A寝台の格調ある対面式寝台に座ったり、紺地の制服に白い手袋をした専務車掌に尊敬を覚えたりした。私は密かに、寝台特急の専務車掌になって全国の路線を走ってみたい願望を持つようになった。専務車掌になる術をしらない私は、そのためには、全国の駅名を覚える必要があると漠然と考えており、実際、小学校までの20分の道のりは駅名を覚えるのに費やした。ウエノオク、アカバネウラワオオミヤヒガシオオミヤ、ハスダシラオカクキクリハシコガノギママダオヤマ、など呪文のように。中学年にもなると、私は、東京から大阪までの駅名が全部言えたし、東北本線は福島までなら諳んじていた。どの特急列車が、どの駅に何時に着き、何分停車し、何時に出発するかも知っていた。どの駅に立ち食いそばがあり、駅弁は何円かも知っていた。できるならば、大人になったら、東海道本線のすべての駅に降り立ち、すべての駅の切符を購入し、すべての駅弁を食べるために各駅停車の鈍行の旅をしてみたいなど願った。
 私は、いつも時刻表をながめていた。夜になると、時計をみては今ごろなら特急寝台はやぶさは静岡と浜松の中程あたりを走っており、上りの急行東海とすれ違っているのを想像したり、時刻表の後ろに掲載されてある食堂車のメニューをみては、景色を見ながらの夕ご飯はどんなにかおいしいだろうかと、そうできない今の自分を嘆いたものであった。
 私が中学生のころには東京都内でもまだ蒸気機関車が走っていた。亀戸からの貨物引き込み線を走るD51、鶴見機関区から工業地帯を走るC11、八高線で乗客を運ぶハチロクなど日曜になると友達と弁当をもって出かけた。特に鶴見機関区では蒸気機関車のターンテーブルに多くのD51が煙を上げて待機していて、一日中そこにいても全く飽きることはなかった。時々、機関区に働くおじさんたちが、おい、ぼうず、乗ってみるか?など、D51の運転席に乗せてもらったこともあった。
 また、別の日曜日には田端機関区にいって、東北本線や常磐線を走る電車、気動車、電気機関車、ヂーゼル機関車を見に行った。広い構内を歩き周り、想像以上に大きな機関車の体を触り、その機関車の車両番号をノートに控え記録した。夢中になっていると、機関区構内の線路を音も立てずに滑走してくる列車にひかれそうになったりと随分危ない目にもあった。家に帰ってさっそく、全国機関車配置表という本をめくると、あのEF58128は田端に来る前は大阪の吹田機関区に配属されていたこともわかり、あの機関車は新大阪発の特急あかつきなどを引っ張っていたのだろうか、あるいは、急行銀河を牽引していたであろうか、などと想像した。

 上野駅に行くのも好きだった。上野は東京駅と違って、駅全体がさきイカの臭いと換気の悪いトイレの臭いが立ちこめ、なにやら騒々しかった。しかし、東京駅よりも多くの列車が発着し、16番線に入るキハ81系つばさをみた後は20番線から出発するED51牽引の急行十和田の見送りなどと、忙しく動き回るのも楽しみであった。当時はまだ赤帽が健在で、夜行列車が着くと多くの年取った赤帽おじさん達が乗客の大きな荷物を運んでいた。私は、おなかが空くと、ホームにおいてある移動式荷台に腰をおろして、おにぎりをほおばりながら、今までにみたり、乗ったり、触ったりした列車や電車や機関車の名前や番号をノートに記録した。そして、翌日、友達にそのノートをみせ、また友達も新しく得た新宿駅でのデータを披露しあって、鉄道の楽しさを激しく語りあった。

 東京発大阪行きの急行銀河が廃止になると聞いた。私の中学生の頃の銀河は東京を夜の9時過ぎに出発し、大阪に朝6時ごろに着くA寝台のある特急クラスの急行であった。列車番号は101で、それよりも早く東京を出発する急行高千穂は1101であるから、日本全国の急行のなかでもとりわけ格のある急行であった。牽引はEF58で何とも味わいのある急行であった。名古屋では20分近く停車するため、当時は明け方でも開店していた駅のきしめんをすすって銀河の容姿を写真にとったりした。2、3月の銀河は予約で満席なのは私と同じ感慨を持つ入が多いためであろうか、それにしても、残念で仕方ない。
 
 最近、私は、夜行列車に乗っていない。今度、友達をさそって、全国から夜行寝台列車がなくなる前に、乗ろうと思う。

 次回のペンリレーはさくら小児科医院の荘司裕先生にお願い致します。

 
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