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<ペンリレー>

発行日2007/12/10
のりこ皮ふ科  佐藤典子
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台湾加油!
 
 司馬遼太郎の『台湾紀行』を読んで以来、ずっと身近に感じていた台湾へ、5月の連休に行ってみました。秋田から成田までの行程の大変さに比べ、成田から日本アジア航空機で3時間半、台湾は本当に近いお隣さんです。
 訪れる前の台湾のイメージは、熟れた花や果物の匂いがたちこめる、異国情緒漂う南の島といったものでした。しかし、桃園国際空港から高速道路で1時間、台北は思ったほど暑くなく、幅広く道路が整備され、重厚な石造りの建物が整然と並ぶ都会でした。このクラッシックな美しい街並は日本統治下に整備されており、古きよき時代の日本の面影を色濃く残しています。最近のテレビドラマ「華麗なる一族」で木村拓哉演じる主人公の父・万俵大介が頭取を務める「阪神銀行」はここの台湾銀行で撮影されています。日本統治時代の台湾総督府(現総統府〉も赤煉瓦作りの優美な建物です。
 またこの街は、一方では、(その時点では)世界一ののっぽビル台北101、超高級ホテルやガラス張りのオフィスビル群など、近代都市の顔も持っており、さらに一方では、1987年まで38年もの間、国民党支配下にあったことを示す正中紀念堂や故宮博物院、円山大飯店など中華様式の巨大建築が偉容を誇っており、幾重にも重なったこの国の複雑な歩みを物語っています。
 文字は簡略体ではなく、私たちの使っている漢字(正確には旧字体)と同じなので、何となく意味が解り、眺めていて楽しくなります。便利店はコンビニ、乾濯はクリーニング屋さん、電気梯子はエレベーター、洗手間はお手洗い、ちなみに熱狗(狗=犬)はホットドッグといった具合です。
 この漢字圏の台湾で、丸くてカワイイということでひらがなの「の」が人気だそうで、あちこちで見かけました。「健康の食品」(健康食品店の看板)、「植物の優」(いい植物?意味不明)などなど。「の」、いつのまにか出世し国際的に。
 また、日本語世代のお年寄りはもちろん、若い方も日本語熱が高いので、どこでもだいたい日本語が通じます。お世話になったガイドさんはもちろん、ホテル近くの便利店のビビアン・スー似の店員さん、街であった若い頃大阪にいたというおばあさん、露天のおばちゃん、みな、日本語でよく話しかけてくれますし、親切です。おまけに皆大声でよくしゃべり、快活で、エネルギッシュです。一日中、広い道路が、ものすごい数のスクーターで埋め尽くされ、信号が変わると同時に押し寄せる様子は壮観です。
 戒厳令の下、蒋介石軍事政権に長年徹底して弾圧された恐怖から解放され、民主化されたとはいえ、台湾がきびしい状況にあることに変わりはありません。ガイドさんによると、台湾の7割の方が独立を望んでいるが、行き詰まった経済の再生は中国の影響なしには難しくなっていることも認識しているとのこと。何度も大規模な中国の封鎖演習にさらされ、監視されている状況で、96年の総統選挙では台北沖にミサイルが打ち込まれたように、来年春の総統選に向けて、また大きな動きがあるのでは、との不安を持っているようです。
 駆け足で旅行を終え、秋田に戻って数日、台湾熱がまだ冷めないうちに、新聞で前総統李登輝博士が秋田で講演されること知り、急いで聴講を申し込みました。博士を招聘された国際教養大の中嶋学長が同郷(長野)の大先輩であることにも、一方的にシンパシーを感じました。
 6月5日、診療を早々と切り上げ、雄和町のプラザクリプトンでの博士のご講演を拝聴しました。
 「22歳まで日本人であった。」とおっしゃる大柄な博士は、84歳とは思えぬよく通る大きな声で、ご自分が受けられた日本の教育、日本文化の持つ高い精神性、美学的情緒、日本精神に基づく日本の台湾統治、そして民主化台湾のこれからにつき、時にユーモアも交えながら、格調高い日本語でご講演されました。威厳と慈愛に満ちた博士に、まるで親戚の長老のような親しみを感じ、日本人が見失いつつある日本人の美質を改めて教えていただきました。それは、ともすれば、東アジアの複雑な対日感情の中で気が滅入ってきそうなわたしたちを暖かく励ましてくださるものでした。
 息詰まる状況下にあって、明るく元気で親切で、日本を大切な友人と言って下さる麗しき島(フォルモサ)のよき隣人、台湾の方々。あの明るい笑顔が永遠に続くよう、どうか台湾海峡が波静かであるよう祈っています。

台湾加油(加油はがんばれ!の意)!台湾加油!

 次号は学生時代同じ下宿だった、いつもお世話になっている尊敬する大先輩とおる内科の高橋徹先生にお願いしました。
 
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