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<ペンリレー>

発行日2007/11/10
JR東日本秋田鉄道健診センター  渡邊亜紀子
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めざせ!スーパーウーマン
 
 JRの産業医になって、今年で3年目。まさか自分が産業医になるとは、JRに入社する1ヶ月前まで想像もしていなかったが、縁あってこうしてJRにお世話になっている。何せ、産業医の免許すらもっていなかったし、産業医の仕事って一体どういうことするの?という感じだったのに、今ではヘルメットをかぶって工場の職場巡視をするようになっているのだから、人生分からないものである。
 小さい頃からの希望通り医者にはなったわけだが、正直なところ、自分のイメージしていた将来設計とは少々ずれている。卒業後は秋田大学の第2内科に入局し、研修医時代は休みもなく365日24時間必死に働いていた気がするが、とくにそれが辛いとも思わず、毎日が充実していた。私の中では、そのうち結婚して子供も生んで、でも見事に臨床医として仕事と家庭を両立させているスーパーウーマンになる予定だった。それが何となく雲行きが怪しくなってきたのは、やはり同じ医局の先輩医師と結婚してからだろう。結婚後、すぐに妊娠したこともあって、産休生活に入り、出産後もすぐに復帰はしたものの、やはり子育てをしながらの勤務は、独身時代とは勝手が違った。夫の助けを受けながら、徐々に仕事も増やしていこうと思っていたが、今度は夫がベルギーに留学することになった。べ・べ・ベルギー??という感じだった。チョコレートとワッフルがおいしいところだよね?という程度の知識しかなかったが、憧れのヨーロッパで暮らせる!!と、何の心配もなく一緒に行くことを決めた。夫は大切な妻と子供を不安な目に合わせちゃいけないし、研究生活も厳しかったから、いろいろ気苦労も多かっただろうが、妻はお気楽なものである。「せっかく夫が留学するのだから、妻も一緒に勉強してきたらどうだ」とすすめられたが即効でお断りし、心から専業主婦を楽しんだ。といっても、完壁な主婦をしたわけではない。私は主婦業があまり得意ではないということに気が付いた。まー、正直言うと、学生のころ一人暮らしをしている頃から家事は苦手なことに何となく気が付いてはいたが、気づかないふりをしていた。そして結婚してからは、家事があまり出来ないのは忙しい仕事をしているせいだというとても都合のよい言い訳が通用した。しかし、仕事をしていようがしていまいが私には全然関係なく、主婦業に全く才能がないことがベルギー生活にて判明した。「良妻賢母」という言葉にちょっと憧れていたが、現実は程遠い「ダメダメ主婦」だった。うちの子供は今でも「僕、ベルギーでよくカップラーメン食べていたよね。」と言う。一応私だって、子供がサマースクールに行っている間は、毎日頑張ってお弁当を作ってあげたのに!と反論したいところだが、そういうことはあまり覚えてないらしい。
 夫が必死に研究している間、妻と子供はベルギー生活を楽しむために毎日遊び歩いた。友達のお家に遊びに行ったり、車を飛ばして隣の国や街に出かけたり…。ほとんど家にはいなかったような気がする。もちろん家族3人でもあちこち旅行をした。向こうの人たちは、人生を楽しむためにあるいはバカンスのために働いているようなものなので、ちょっとだけ働いていっぱいお休みする。それを見習って、私たちもお休みになると、すぐに旅行に出かけた。ベルギー国内も観るところはいっぱいあったし、ヨーロッパ各地にも遊びに出かけた。イギリス、フランス、オランダ、ドイツ、イタリア、スイス、オーストリア、スペイン、ギリシャなどなど3年の間に行けるだけ行った。お金はなかったが、こんなチャンスはもう2度とないだろうからと借金してでも遊びまくった。実際、夢のようなヨーロッパ生活に泣く泣く別れを告げ帰国してから5年がたとうとしているが、1度もヨーロッパ旅行は出来ていないので、やっぱりあの時、無理してでも楽しい思い出をたくさん作ってきて本当に良かったと思う。
 帰国することになり、医者の生活から3年も離れていたので、臨床医の生活に戻ることに急に不安を覚えたが、優しい医局の先輩たちの暖かい支えがあって、徐々に臨床の生活に戻り、留年を続けていた大学院も無事に卒業が決まった。大学院には8年、休学期間も含めると10年も在学していたのだが、2内科始まって以来の不祥事?のようだ。おかげさまで無給の生活も長く貧乏生活にも慣れた。大学院卒業とともにJRとは別の就職先も決まっていたのだが、それが突然JRの産業医として働くことになった。患者さんと接するのがとても好きなので、本当は臨床の現場で働きたかった。でも子供のことも考えると、急な呼び出しや当直もなく、土日も普通にお休みができる会社員としての生活も悪くはないのかなと、会社員になることを選んだ。治療ができない寂しさは、今でも正直ものすごくある。でも、臨床医のころは患者さんの生活背景などは深く考えずに、病気を治すことだけを考えていたのが、今は社員一人一人の生活・将来を考え、家庭生活や人生について一緒に悩みながら、心身ともに明るく健康的な生活を送るためには何がベストなのかを模索することに、やりがいも感じている。この先はどのように自分の人生が変わっていくのか、今は想像もつかないが、今のところは子育て優先に自分のぺ一スで仕事を続け、いつかは主婦業もばっちりこなせる素敵な女性になるように日々努力していきたいと思っている。
 次回は、出産後の医局員時代に呼吸器科の同僚としていろいろお世話になった秋田組合総合病院呼吸器科の福井伸先生にお願い致しました。
 
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