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<ペンリレー>

発行日2007/09/10
小泉病院  湯川道弘
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アルペンスキー挑戦
 
 平成18年11月下旬、その年の記録的な暖冬を知る由もなく、当家のスキーシーズンは幕を開けようとしていた。子どもたちの成長に伴い、5年前からスキーを始め、毎年楽しみにしていた。ただここ数年は少々マンネリ気味でスポーツクラブのスキースクールに参加させても、テレビ局主催の某スキー合宿に参加させてもなかなか思うように上達せず、パッとしない状態が続いていた。
 仕事がえりふと立ち寄った秋田市内の某スポーツ店、一通り店内を物色し、帰り際店頭の掲示板に目を留めた。白地A4コピー用紙に秋田ジュニアアルペンクラブ員募集と書かれてあった。画鋲で止めた紙の端がめくれ上がっている。粗末な薄い紙に一抹の不安を感じながら、店員にたずねるが、秋田アルペンの方が今年から立ち上げようとしているとしか情報は得られなかった。まずは紙に書かれた電話番号をひかえて帰った。
 後日クラブの担当の方と連絡をとり、募集要項を送ってもらい、家族会議の末、思い切って参加してみることにした。ちょっとしたきっかけで子供たちのアルペンスキー挑戦が始まった。停滞していた状況を打破すべく、かけてみようと思った。
 秋田ジュニアアルペンは総勢18人(幼児5人、小学生12人、中学生1人〉でのスタートとなった。立ち上げの中心になったのは秋田アルペン徳田コーチと、御野場こばやし歯科小林先生。ホームゲレンデはスノーワールドタザワと太平山オーパススキー場であった。初めてシーズンリフト券を購入しシーズンに備えた。しかし暖冬のためオーパススキー場は2日間の営業のみで全面滑走は1日もかなわず、練習は田沢湖のみであった。(オーパスは当家にとって5年前からでしかないが毎週のように通ったホームゲレンデであったため少々寂しさを感じ、何とかすべれないものかと何度か足を運んだが、積もっても積雪量は30センチを超えず、また季節はずれの雨にすぐ溶けてしまう始末であった。〉またクラブの練習開始も12月下旬からの予定が、年始1月5日の合宿からのスタートと遅れた。ここから毎週土日の田沢湖通いが始まった。土曜は仕事のため妻に往復を頼み、自分は日曜日にできうるかぎり練習に参加させてもらった。ただここでは憎き暖冬のおかげで雪のない国道を田沢湖まで楽に往復することができたのが幸いであった。
 私自身のスキー歴は小中高と学校の授業で習った程度で、特に両親にスキー場に何度も連れて行ってもらった記憶もなく、レジャースキーがせいぜいであった。そのため競技スキーはワールドカップなど衛星放送などでたまーに見る以外はなじみが薄く、はじめその大変さがよくわかっていなかったように思う。
 アルペンスキーはタイムを争う競技のため、スピードが第一で、その恐怖感を克服させるためか、全くのコーチ(ヨーデルスキー学校校長高橋力先生)独自の練習方法か、どんどんスピードを出させる。スピードを出して練習したほうが上達が早いという方針のもと少々きつい斜面もかまわず直滑降で行くよう指示され、結構なスピードで子供たちが降りていく。父兄はこわくてついていけないが子どもたちは、どんどんスピードに順応していき、転倒しても平気で降りていく。年長のおチビさんたちまで体を小さくかがめたクローチング姿勢で親たちをおいていった。次は斜面にポールをはり(ポールははると表現するものらしい。)、ポールを通過していく練習。はじめは緩めの斜面にはられたポールが、次第に急斜面にはられるようになった。急斜面でポールどおりにまわっていくのはかなりこわいし、難しい。オーバースピードで突っ込むとコースアウトかひどいときは、ふっ飛ばされて派手に雪煙を上げ回転しながら転倒。はじめは恐怖との戦いだったようだがあっという間に慣れてしまい、転倒を恐れることなどなく、スピードを出すことに喜びを見出していったようであった。子どもたちが一通りすべり終えると今度は、何事も経験だとコーチが父兄にもコースに入るよう勧められた。簡単に言ってくれるが結構な斜面、けがをしたら大変とおそるおそるすべり出すが、あっという間にすごいスピードになり、あえなくコースアウト。恐怖に負けてしまった。降りてきた斜面を下から見上げながら、子供たちはこんなところを滑っていたのかと苦笑いであった。
 毎週のきつい練習は子供たちにとって決して楽でなかったはずだが、週末が来るのを親も子も楽しみにしていた。練習を重ねる度、子供たちは上達し、早く斜面を降りて来られるようになっていった。今年がはじめてのスキー競技挑戦であったため1・2月はきっちり練習に当てられ、大会参加は3月からとなった。予定されていた大会は、暖冬のせいで例年より早くスキー場が終了したり、積雪が足りなかったりと結局参加できたのは2つの大会だけであった。安比スキー場と八幡平リゾート下倉スキー場の2試合であったが5位入賞の子が最高位であった。地元の子達はやはり早く、また試合なれもしているようで、緊張で萎縮してしまっていた我々とは別物であったか?しかしスタート1年目としては上出来であった。
 こうして子供たちの長くて短いスキーシーズンは終了した。父兄も子供たちもつらかった思いよりも充実した楽しかった思いで一杯の冬であった。
 アルペンスキーに挑戦し、よき指導者に出会え、よい環境を与えていただき、実績あるスキー選手(滝下樹里選手、スキー大会の応援にも来てくれたのは感激であった)によい刺激を与えられ、たくさんの仲間や友達ができたことは親子ともども本当に幸せであった。貴重な経験をさせていただいたことに感謝したい。はじめは停滞していたスキーの状況を打破すべく、思い切って賭けてみただけであったが、予想以上の収穫が得られたと思う。スキーなど流行らず、スキー場も少なくなってきているご時勢ではあるが、せっかく雪国にいるんだし子供たちにアルペンスキーをやらせてみたいと、興味のある方がいらっしゃれば是非参加されることをおすすめしたいと思う。(私か、御野場こばやし歯科小林博典先生までご連絡いただければと思います。) この稿が掲載されるのは9月号、あと数ヶ月後のスキーシーズンに向け、オフトレーニングを考え始めた今日この頃。子供たちには怪我せず、さらなる飛躍に向けて、がんばってもらいたいと思う。
 次は、大学の先輩であり、いつもお世話になってばかりの遠山医院、遠山潤先生にお願いしました。
 
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