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<ペンリレー>

発行日2007/07/10
銭谷内科胃腸科クリニック  銭谷 明
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すぐり(摘果)
 
 朝起きてテレビのスイッチを入れると、ローカル局から果樹へ袋をかける作業が行われているニュースが流れていた。和梨の栽培を主として、洋ナシ、ぶどうや桃などを育てて生業としてきた実家に高校卒業までの18年間生活していた自分にとっては、毎日のように流される殺人、年金問題、芸能などのニュースよりは寝ぼけながらもはるかに早くテレビ画面へ反応できる話題だ。画面には梨の房状になった小さな実を摘果して間引き、これに一つ一つ袋をかけていくという作業が映し出されていた。梨の木一本に約5000の実がつき、これを300に減らして育てていくため、一本の木についた実のうち6%だけしか梨として収穫されないという解説がされていた。こんな確率を両親は意識しながら作業していたものなのかな、木には若い木も老いた木もあるし土壌や気候なども関係するだろうし、などと考えていると、自然と幼少時の記憶が蘇る。
 梨の木は網の目に張り巡らされたワイヤーに固定されて枝が吊り上げられ、父の背丈で作業しやすいようにある程度高さが調節されている。そのため身長の高い人は身をかがめて梨畑を移動しながら作業しなければならず、腰に負担を強いられる。自分は、早々と医学部に入学してつぶしのきかない職業を選んでしまった。二人しかいない兄弟の姉が身長190cmの実業団のバスケットボール部の彼氏を実家に連れてきたとき、両親は果樹園の後継者をなかば諦めたに違いない。今の時期、すぐり(摘果)という作業が行われる。四角い木の椅子や脚立の上に乗り、残して育てる実を見極め、それ以外の実は取り除き残した実に封筒のような袋を掛け、針金で根元を固定してゆくのである。作業する人たちの腰には袋が入った箱が巻きつけられていて、手には、針金が落ちないように磁石がついた円柱状の容器がはめられてある。自分も物心のついた頃には、もちろん同じ格好をして畑に出る。手伝っているつもりであるが、結局は仕事の邪魔していたのである。しかも飽きずにどれだけの時間おとなしく畑にいられるかは想像に難しくない。午前10時と午後3時には全員で休憩の時間だ。時間がくると畑にござをひいて、お茶を飲みお菓子を食べて一服する。梨畑は6月から7月の袋かけのシーズンは畑一面に葉が生い茂り日陰になるためなんとも心地よい涼しげな風が通り抜ける。おやつの時間には必ずといっていいほど参加する自分は、額に汗することもなく、なんてのどかな仕事なんだろうと思った記憶があるが、今にして思えば、大人たちのほうが額に汗して働いた分だけはるかに美味しいお茶だったに違いない。
 天気が悪く土砂降りにでもならない限り農作業に休みはなく、土曜や日曜という曜日の観念や8時から17時までの時間で働くなどいう考えももちろん通じない世界である。とても過酷な職業ではあるが、生活には四季があり、一日には日の出と日の入りがある。梨の木を通しての自然との対話があり、害虫や雑草と人間がかってに呼んでいる生き物たちとの戦いがあった。いつの日か両親も年老いてしまい、梨を育てる体力がなくなり畑一面の木を切り落としてしまった。切り株しか残っていない畑を目の当たりにするとやはり寂蓼感が漂う。自分でさえこうなのに、何代かにわたりこの地で育ててきた生き物の生命を奪うことを強いられた父の思いはいかばかりか。画面の切り替わったテレビは、あいかわらず芸能人の話題や、流行の話題を繰り返す。現実に引き戻された自分は、何かがずれたまま進んでいく生活を修正することも出来ずに日常を始めるためクリニックヘ向かった。
 次回は小泉病院湯川道弘先生にお願いしました。
 
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