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<ペンリレー>

発行日2007/02/10
健生クリニック  阿部二郎
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かにみそ会
 
 一緒に開業した妻からのバトンを受け取って、ペンをとることになった。新しい年を迎え、今年は年男だし、何かいいことがと思って新しいスケジュール帳に今年の予定を考えていると、去年できなかったことが浮かんできた。去年できなかったことは、「かにみそ会」へ行けなかったことである。
 「かにみそ会」とは、大学時代(岩手医大)の親友10人で作った親睦会である。大学入学時からの親友が集まり、勉強に遊びに一緒に行動をした仲間である。成績は各自バラバラだったが、一応、10人全員が無事一緒に卒業し、国家試験に一回で合格した。また、全員が入学時より体育会に所属しており、10人が皆、異なる部活動を行っていた。上級生になると、10人全員が主将を努めた。東医体へも全員が参加し、お互いに応援にも出かけた。国家試験の勉強会も図書館に10人で集まり、毎日閉館まで時間を共にした。
 6年間の学生時代を一緒に過ごした我々は、当然出身地が違うため、卒業後の進路も異なっていた。卒業前に最後に一杯飲むことを目的に、10人で八幡平にあるプータロー村のバンガローに、できるだけ酒を多く買い込んで出かけた。途中、つまみが無いことに気づき、山郷の商店に寄ったおり、店主が安くてうまいつまみは、かにみその缶詰だと教えてくれた。正直な学生達は、大量のかにみそ缶詰(1個100円)を買い込んで、バンガローで、別れを惜しんだ。サントリーレッドのジャイアントボトルにかにみそ缶詰だけで、一晩中語りあった。そして、卒業後も年に一度10人で集まり、一緒に酒を飲む約束をしたことで結成したのが「かにみそ会」である。以来、一回も休むことも無く毎年開催され、皆が集まり、酒を飲んでいる。
 「かにみそ会」には、結成当時より規約がある。正会員は、もちろん10人の親友である。新規の入会は認められない。また、脱会は死亡時にのみ許されるが、その後名誉会員となる。準会員として、会員の妻が登録される(いかふ会員と呼ぶ)。また、岩手県在住の正会員は、かに会員とし、岩手県以外の正会員はみそ会員と呼ぶ。総会は年に一度8月第一金曜土曜日曜にかけて行われる。総会を企画する会長は、毎年交互にかに会員とみそ会員の中から互選される。総会には、正会員はもちろん、いかふ会員、また、子がに会員・みそっ子会員も参加できる。正会員が欠席でも、いかふ会員単独でも子がに会員・みそっ子会員同伴でも参加できる。参加費用は、交通費の半分と滞在費・食費すべてを「かにみそ会」から支出することになっている。昭和59年に卒業した頃(もちろん全員独身)は、正会員の年会費が3万だった。現在、正会員10名(かに会員4名、みそ会員6名)、準会員9名、子がに会員10名、みそっ子会員13名、総勢42名の会員を有し、正会員の年会費は24万になった(会費は正会員のみ)。
 秋田でも総会が数年前に開かれた。会長である小生の腕の見せ所である。2泊3日でいかに接待するか勉強になった。有り難くも会員ほぼ全員が秋田に来てくれた。初日は男鹿半島五里合で総勢40名で地引網を引いて、泳いだ。夜は、正会員は浜でキャンプ、準会員と子がに・みそっ子は榮太郎旅館で大はしゃぎ。2日目、正会員は椿台カントリー、家族会員は、田沢湖高原・乳頭温泉ツアー、夜は全員でビューホテルで総会パーティーを行った。皆、喜んで帰って行ったのが、何よりもうれしかった。
 卒業してから24回の「かにみそ会」が開催された。これまで休まず、「かにみそ会」に参加してきたが、昨年の夏は欠席してしまった。残念だった。函館在住のみそ会員が会長を努める総会だったが、ねぶた祭りと重なり、どうしても移動手段が取れなかった為である。
 小生の二人の娘達も、参加できなかったことを残念に感じていた様子だったが、今はメールの時代である。子がに会員とみそっ子会員の間では、日常的にメールのやり取りが行われていることに驚いた。小生も知らないうちに、次期会長が誰で、場所はどこでと、それだったらどこに泊まりたいなどと、子供たちがメールで計画を立てていることに、良い会になったと思うと同時に、最初に規約を作ったことで長続きできていると感じた。今後も年一回の総会が楽しみであるが、孫がに・孫みそが出現したら、また会費が上がる心配をしている「いかふ会員」達の顔が浮かんだ。今年は必ず参加したい。
 ペンリレーのバトンは、吉成医院の吉成仁先生につないでもらいます。
 
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