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<ペンリレー>

発行日2007/05/10
くらみつ内科クリニック  倉光智之
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台風とわたし
 
 数年前、夏休みに家族で初めて沖縄に行った。帰る前日、台風警報が出、街を広報車が走っていたが、風が強いかな?くらいであまり気にならなかった。翌朝、沖縄本島を台風が直撃した。午前中にホテルで台風の目なるものを経験し、2時間くらいして風がおさまってきた後にレンタカーで空港に向かった。秋田での台風の経験しかなく過ぎてしまえば大丈夫は大間違いであった。沖縄では台風のスピードは時速数キロであり、走りはじめてからまもなく車は再び台風の中に突っ込んでしまった。車がひっくり返るかと思う強風の中、命からがら空港についたが、空港は旅行者でごった返しており欠航を覚悟した。その日は結局全便欠航となり、空席待ちの手続きをしたが、空席待ち番号は1600番台であった。ホテルを探してみたがどこも取れず、空港は人でどんどんいっぱいになり、空港職員より敷物が配られ、みなあきらめ気味にフロアに場所をとって座り始めた。
 翌日の沖縄は台風通過後の快晴であり、全便スムーズに飛んでいた。当然、帰れるものと思ったが、飛行機会社はなかなか臨時便を出してくれない。ピーク時の沖縄便では空席は1便に対し10席もあればいい方で、臨時便が出ないかぎりはフロアの住民はなかなか減らなかった。やりきれないのは、当日の搭乗券を持っている人は何事なんだと怪訪な顔をしながらフロアで敷物に座っている我々を横目にスムーズに搭乗していく。翌日より出勤予定であったため、いつ帰れるかもわからず病院に事情を伝え、休みを伸ばしてもらったが、なんともばつが悪かった。その日も結局丸1日空港にいたが、空席待ち500番あたりまでしか回ってこなかった。深夜の台風の九州上陸が確実で、翌日は福岡便、関西便の欠航が予想され、夜になると空港内は臨時便を出せの大合唱となり異様な雰囲気となった。
 絶望のまま3日目になったがこの日はどんどん空席が出た。どうも東京から沖縄に来る方は2泊3日が多いらしく、全便欠航になった日に東京から沖縄に来る予定だった方の帰りの予定便がこの日に当たっており、この日の那覇―羽田便はほとんどが空席だったようだ。10時に航空券をもらい、待ちに待った搭乗口に入ったものの、台風の暴風域は羽田近くまで来ていた。結局羽田が強風域から外れるまで3時間以上搭乗待合室で足止めを食い、離陸したのは2時を過ぎていた。帰りの羽田―秋田は事前に余裕を持って5時の便の予約をとっていたが、羽田に着いたのは5時を過ぎていた。今日は羽田泊かと覚悟したが、不幸中の幸いに秋田便が台風で遅れており、結局5時の便が飛んだのは8時を過ぎていた。秋田空港に着陸したときは10時を過ぎていたが、無事に秋田の地に足を着けたときは目が潤んでしまった。
 翌年の夏休みは万全を期して、台風と縁のない札幌に行った。しかし札幌を30年ぶりに台風が直撃し、札幌のホテルで貴重な経験をした。
 台風との相性が悪いと心の底で思いながら生活していたが偶然3度台風と決するときが来た。秋の消化器病学会が福岡であったのだが、ちょうど出発当日台風が福岡を直撃していた。かなり暴風域の大きい台風であり、朝の時点で搭乗予定の羽田―福岡便がすでに欠航になっていた。当日行く予定の先生のほとんどは秋田空港で翌日発、あるいは羽田で1泊と交通手段の練り直しをしていた。那覇空港での経験上、台風と飛行方向が逆であれば、大阪あたりに台風がいるときはきっと羽田―福岡便の少しは飛ぶのではと考えた。その日の福岡入りに勝負をかけたのは周囲では自分だけであった。秋田空港で朝10時の便を予約し、乗り継ぎの羽田―福岡は夕方5時の便を予約した。羽田についてから、床屋にいったり、本屋に行ったりして時間を費やしたが那覇空港で時間をつぶすのとは違い羽田で時間をつぶすのはそれほど辛くはなかった。その後、3時に羽田を発った便が福岡に着陸できず関空に降りたと聞いたときはそんなとこで降ろされたら泣くしかないと思った。さすがに関空に降ろされることは想定していなかった。結果的には4時から5時までの数便のみが無事に飛び、その後の便は羽田が暴風域に入り再び欠航になった。私の乗った便は離陸時に強風でかなり揺れたが、ほぼ時間通りに福岡空港に到着した。着陸するとき窓から見えた台風明けの美しい夕焼けは今でも忘れられない。第三者的に見れば非常にくだらないこととは思うが自分にとっては人生で数少ない完勝を感じた出来事であった。
 次回は、秋田市立明徳小学校のときの同級生で、現在中通総合病院産婦人科で活躍している川原聡樹先生にバトンをお願いしました。
 
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