トップ会長挨拶医師会事業計画活動内容医師会報地域包括ケア介護保険について月間行事予定医療を考える集い学校保健関連

<ペンリレー>

発行日2007/06/10
秋田赤十字病院  勝田光明
リストに戻る
~趣味~
 
 今年、医者9年目となりました。最近、切実に思うことは医療業界以外の、友人、知人が減少傾向にあることです。学生時代は東京に住んでいましたので、様々業種の方と出会うチャンスがありました。作曲家、実業家、建築家、宝塚ジェンヌ、モデル、スチュワーデスなどなど知人が多かったのですが、今では、携帯電話にこの人は誰だっけと思える人の電話番号すらあります。ここ数年、自分の業種以外の方と知り合える機会はめっきり減りました。このまま日々の生活をすごしていくのは、何となく寂しいと思い、30歳で写真を始めました。この趣味をはじめるに至っては、医師3年目に勤務した湖東病院で、上司である須藤先生にパソコンの自作から、写真のことなど、様々なことを教わってから興味を持ち始めたのがきっかけです。毎年夏休みには、1週間どこかに出かけるときには、少しでも写真を撮るように努めています。
 3年前にアフリカ旅行に行ったときは、人生観が変わりました。この時、600~700枚ほど写真を撮ってきました。香港経由でヨハネスブルグに行き、陸路にてボツワナに入り、チョベ国立公園から、ジンバブエのビクトリアフォールズ空港、ヨハネスブルクヘ。さらに乗り継ぎ南アフリカのケープタウンヘ行きました。聞き覚えのないような国、地名があり、もちろんなじみのない国はそれぞれの文化を持っていて、食べ物までが全く違いました。強烈だったのが、ジンバブエの10cmほどの芋虫です。自分の家の庭にも3cmくらいの似たような芋虫がいましたが、決して食べ物には見えません。ただの害虫です。 南アフリカでは、朝に雪がちらついていましたが、日中は30度近くまで気温が上昇しました。一日に四季があるといわれるくらい、めまぐるしく気温が変わるようです。このようなところでサルから人間に、このような場所が人類の起源でヨーロッパ、インド、中国、そして日本まで先祖が移動してきたかと思うと不思議な感じがしました。
 日本に人類が来てから1万5000年が経ったといわれています。自分は小学校6年生12月9日に父親の友人であった、当時、県立博物館の学芸員をしていた先生に連れられ、男鹿半島の不思議な場所につれていかれました。まずは角間崎です。ある民家を訪ね、裏の山に入れてもらいました。ここには約6000年前、縄文前期の土器、石器が多く出土しています。残念なことに数年前に土砂崩れ予防のために、県の方から地盤をコンクリートで固められてしまったとのことです。この情報はたまたま、自分の外来に来た患者さんの顔を見て(23年ぶりにお逢いしたのですが、)その民家の婦人からの情報です。その後時々、庭に転がっていたものだよといって、6000年前の土器、石器を持ってきてくださいます。縄文前期の土器は比較的低温で焼いているため、ややこげ茶色で崩れやすいのが特徴です。その他にも、前脇本消防署の隣の畑には弥生時代の土器が出土しています。などなど男鹿には不思議な場所が多くあります。小学校当時から人類が誕生する以前の時代の化石にも興味があり、最近は時々ハンマー片手に鵜野崎、女川などに出没しては、一人でハンマーを振っていることがあります。
 上記のごとく、趣味というほど高尚なものではありませんが、とりあえず仕事以外にやっているものといえば、「写真」「旅行」「なんちゃって考古学」でしょうか。
 次回は秋田赤十字病院救急部中畑潤一先生にお願いしました。
 
 ペンリレー <~趣味~> から