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<ペンリレー>

発行日2006/07/10
佐々木内科・循環器科医院  佐々木弥
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中国への不安
 
 開業してもう7年になる。もう昔の話になるが開業直前の1年間に二回続けて中国に行く機会があった。一回は当時秋田大学第二内科が関連する日中高血圧シンポジウムに出席のため杭州へ、もう一回は中国国内で虚血心や冠動脈形成術に関した新規の研究会を立ち上げるとのことで南京医科大学病院に招待され南京へ行きそれぞれ約1週間滞在した。
 南京医科大学に招待されたのはその研究会の発起人が県の国際交流団を介して当時私が勤務していた秋田組合総合病院の循環器科で1年間研修した中国人医師だったからで、彼は秋田での研修中冠動脈形成術の習得に熱心だったが、研修を終えてからさらにカナダやイギリスヘ留学しその後帰国し南京大学へ勤務していた。当時まだ中国では北京や上海の数カ所の施設以外では経皮的な冠動脈形成術は行われていなかった。彼が勤務後病院に設備を整え国内の循環器医師を対象に新規の研究会を発足させ、第一回の研究会を開催するにあたり冠動脈形成術の実演を行うためのアメリカ在住のイスラエル人医師と私が国外から招待されたというわけである。
 その時の南京での話であるが、上海の空港から迎えの車で南京に向かったが日本にも勝る立派な自動車専用道が走り、南京市内についての宿泊ホテルは外見、サービス内容、内在する各種レストラン、バーなど日本の超一流ホテルと変わらず、市内の中心街の商店やデパートなども日本の大都会なみで、滞在中の豪華な接待や宴会後のカラオケなど自分が想像していた中国とはかけ離れていた。冠動脈形成術のライブを行った心臓カテーテル検査室は最新の設備を備えており、少し離れた講演会場の設備も立派でライブも会場のモニターで目の当たりに見ることができた。
 一方で患者さんの入院室を見せてもらう機会があったが、一般の病室はただベッド脇に酸素の配管があるだけでモニター類の設備などは何もなく暖房も不十分で寒々としており、薄暗い病室の中で患者さんはただ布団をかぶって寝ているだけの印象だった。またCCUで診療させてもらう機会があったが医療器械はきわめて貧弱で患者さんのベッドの側には旧式の人工呼吸器と心電図モニターと点滴セットが置かれているだけだった。
 滞在中見た市街でも少し裏道の下町に入れば小さな裸電球の屋台が並び食べ物を求める労務者風の人々、リヤカー、自転車などともにほこりやゴミが氾濫し、いかにも「戦後の浅草」?を思わせる雑踏だった。杭州でも南京でもそうであったが朝夕の通勤時間のどこからともなくわき出る人また人の多さに驚かされるとともに、経済の著しい発展途上中とはいえ超高級ホテルの待遇と貧しい下町の雑踏から見える生活のあまりの格差にはとまどいさえ覚えた。共産国家とはいえ、このような大きな貧富の差に対して多くの貧困層が持つであろう膨大な不満エネルギーを国家統制だけでコントロール出来ることが不思議であり、いずれ内乱や国土の分裂が起きてもおかしくはないと思われた。
 南京での宴会の席で中国の医師が結構まじめに「かなり多くの中国の政府高官や知識人が将来日本は中国の一部になるだろうと考えている」との話をしていた。莫大な人口を持つ中国が国内貧困層の不満エネルギーを収束させるために何かターゲットをつくりそれを利用するようなことがあれば怖いな、とその頃不安になったことを覚えている。その後7年が過ぎたが、その間の中国の更なる経済発展や軍備の拡張、沿岸都市と農村の経済格差の拡大、さらに歴史問題などでの反日本的な中国内教育などを見ていると「いずれ日本は中国に支配される」との彼らの会話を思い出し、何か次第に現実味を帯びてくるようで怖い。
 
 ペンリレー <中国への不安> から