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<ペンリレー>

発行日2006/05/10
笹尾整形外科医院  笹尾 満
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私と秋田弁と診療
 
 この度、高校同級生の遠藤先生からペンリレーのバトンを受け取るように電話を貰いました。今でも忘れません。私は小学生の時に、作文の悪い例として私の作文が教室内で読まれたことがあり、ペンの方は今でも大の苦手なのです。しかし、私は学生時代に陸上部に所属しており、習性とは恐ろしいものでつい何気なくバトンを受けてしまいました。高校の同級生で県内では整形外科医が4名もおり、出来の悪い私は皆に夫々の形で世話になっており、この同級生達は私に取って大変ありがたい存在なのです。ついバトンを受けてしまったのは、或いは、私の心の中に何か弱みがあるからかも知れません。それはさて置き、何を題材に書こうかと思案して、日曜日の遅い朝食を摂りながらテレビを見ていたところ、横手市、増田町が写り、町の人たちが綺麗な標準語を使って山フグ(ナマズ?)のことを説明しているのには感心してしまいました。ところが、チャンネルを廻したら、民主党の国会対策委員になった渡部議員が東北弁の発音で話をしているのを聞いて、この落差の大きいのにはびっくりしてしまいました。これを題材にと思いペンを取りました。前にも秋田弁について書かれていた方がおられ、二番煎じと思いますが、お許し下さい。
 さて、最初の私と秋田弁との診療での関わりは、私の父が五城目町で開業していた頃です。一緒にインターンをしていた仲間が、我が家に遊びに来て、父の留守に、患者さんを診察してくれましたが「全く判らん。」とのことでした。優秀な奴なのに、私でさえ診断が付くのにと不思議に思って聞いたところ、「何を言っているか全く判らないから診断が付かない。」との返事でした。先日、秋田組合病院が開いてくれました地域の医療機関との懇親会で、新潟から来ておられた外科の先生に、「秋田弁で分らないことがありませんか?」と聞いたところ、「殆ど分りますが五城目のお年寄りの言葉で分らないことがあります。」との返事でした。何ゆえに、五城目の言葉が分らないのか、伝統のある「文化の町五城目」が、私の出身地であることを打ち明けると大笑いでした。なるほど、数十年前の東京の友達が五城目で診察するのは無理だったなと納得しました。次に、20年近く経って秋田に戻って来た最初の頃、患者さんに「なずき」が痛いと言われ、「なずき」は不覚にも直ぐに思い出せず、ショックでした。その後、徐々に記憶が蘇り、初耳の秋田弁は外来の看護師さんに通訳をしてもらいながら診察をしていました。今は、時に、特異な秋田弁に遭遇することがありますが、99%以上は理解出来るものと自負しています。最近の若い看護師さん達は秋田弁がわからないことが多く、逆に、私が通訳する立場になっております。
 秋田弁を文字化しても、なかなかそのニュァンスが伝わらなくて、もどかしく感じますが、当院の外来風景を再現してみました。私(普段のより丁寧に話しています。)「今日はどうされましたか。」
 患者さん(極端に秋田弁を駆使しています。)「しぇんしぇ、きんな、から、腰あんべ悪くて、あげば、右のだんこぺた、から、よろた、ひかがみ、に掛けて痛くてあるげねす。また、足のひら、から、おどゆびにかけてしびれて来るすもの。」
 この訴えから私は腰部神経根の圧迫症状と考え、腰部椎間板ヘルニア等を疑うわけです。何故なら標準語にしますと、「先生、昨日、から腰の具合が悪くて、歩くと、右の臀部から、大腿・下腿、に掛けて痛くて歩けないです。また、足背、から親指に掛けてしびれて来るんです。」となるからです。
 「しぇんしぇ」のような発音の仕方は秋田県をはじめとする東北北部、中・四国、九州などにも同様にみられ、古い文献の音表記などによると日本語本来のサ行音はシャ・シ・シュ・シェ・ショであったことが知られているようです。
 「きんな」からは「昨日」からで「あげばorあけば」=「あるくと」等は、秋田弁の有名な会話で「どさ・ゆさ」と言うのがありますが、東北弁は会話を簡単にしてしまう傾向にあるようで、これもその一つかと勝手に考えています。因みに、これは標準語で言うと、「何処へ行きますか、お風呂に行きます。」となります。
 「歩けねす」の「ね」は秋田弁では否定の表現なのです。「ねす」の「す」は述語に後接すると丁寧な表現となりますが、なんにでも「す」を終わりに付ければ良いわけではありませんので注意が必要です。
 名詞はとなると「だんこ」または「げっつ」=尻「よろた」または「ももた」=もも(広辞苑では股・腿)「ひかがみ」患者さんによって多少部位は異なりますが=膝窩部から下腿後部「おどゆび」の「おど」=父親したがって「おどゆび」は最も大きな指、親指なのです。ここで、この2週間に経験した整形外科関係の下肢の部位の名詞を書き出して見ました。「すねから」=下腿前面「こぶら」=ふくらはぎ「くろこぶし」=足関節の内外穎「指のまっか」=指の間などです。他に「おだれる」=折れる等の動詞を上げますと、あまりにも多くて、貴重な紙面を割くことになりますので省略します。前出の「なずき」は広辞苑では「脳」となっていましたが秋田では「額」のことなのです。そうそう痙痛疾患を扱う整形外科の診療にとって、最も大事なことを忘れていました。それは、「痛い」と「病む」の違いです。「しぇんしぇ 、昨日の晩げに膝っこ、病んで寝られねかったす。」これは標準語に直すと、「先生、昨日の晩は膝が痛くて良く眠れませんでした。」となります。「膝が痛いんですね?」と聞くと「いいえ病むんだす」と答えられます。秋田では「頭痛」のことを「頭やみする」と表現しますのでこれと関連しているのではないかと推測しています。標準語でも痛みの表現は様々あり、私は、一般に「痛い」は運動痛、「病む」は自発痛に近く、じんじんとした鈍痛で「痛い」より数段患者さんにとっては辛いことを表現しているものと解釈しております。これ以上、秋田市医師会報で秋田弁を私流に解説するのは失礼になると思いますので、この辺で終わりとします。
 先日、私は、テレビを見ていて秋田の若者と東北出身のベテラン代議士の話し方やアクセントの落差にびっくりし、マスメディア等の影響により急速に秋田弁がその姿を消して
行く運命にあるかと思うと、一抹の淋しさを感じ、つい取りとめのない事を書いてしまいました。私が高校時代に好きだった詩歌の一つ、啄木の「ふるさとの詑りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく」などは、これからの人達には、そのニュアンスさえも理解できなくなるのではないかと思っています。上の「膝っこ」など名詞の語尾に「こ」を付けるのは何か対照の物に親愛の情を込めて呼ぶような感じがして私は好きです。最近は滅多に聞くことが出来なくなりましたが、私が小さい頃に聞いた秋田弁、例えば「よくおざったなすなあ」など万感のこもった丁寧な言葉や「あら可愛い子供さんねえ」と言う標準語よりも「あええめんけわらしだこと~」などと数倍も暖かみを感じる方言を聞く方が心が和やかになり嬉しくなります。年を取った所為でしょうか、勿論、無理とは思いますが、このような私の好きな秋田弁は残っていて欲しいと思うようになってしまいました。
 尚、現在、私は秋田弁も使いながら診療をしておりますが、一方、もう遠い昔となり記憶は定かではありませんが、県内の高校同級生整形外科4人組は互いに、高校時代は秋田弁で喋っていたとは思いますが、現在の会話は90%以上標準語で話をしております。
 後記、秋田弁の一部は当院看護師さんたちの添削を受けていますが、同じ秋田弁でも出身地により、多少言い方が異なることを申し添えておきます。
 バトンは秋田組合病院に勤務していた頃から、困った時にはいつもお世話になっています、佐々木弥先生にお願します。
 
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