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<ペンリレー>

発行日2006/02/10
小児科岩渕医院  岩渕和子
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岡本新内に親しんで
 
 雄物川地方生まれの伝統芸能である岡本新内を知る方は少ないと思います。この起源については、諸説がありますが、幕末の頃、この地に住み着いた江戸の歌舞伎役者が三味線、唄、踊りを地元の人々に教えたのが始まりとされ、、江戸風の洗練された曲調や、悲恋を語る女ごころの唄が、土地の人々に愛され、唄い継がれてきたものが原型と言われています。しかし、年月を経て次第に忘れられ古老の口の端にうろ覚えに残されているだけになっていました。
 昭和になって横手の一寸平(ちょっぺい)という芸妓がこれに魅せられ、散逸した唄を集め、浄瑠璃の哀調を加えるなど、独自の工夫を重ねて、岡本新内として完成させ、初代家元を名乗りました。哀愁を誘う三味線の音色、優雅な踊りは、お座敷舞踊の花形として花柳界に定着、県内のみならず中央にも知られ、政界、財界の貴紳の多くに愛好者が生まれたと言うことです。(昭和の中期)岡本新内の由来、詳細については、昭和43年のこの医報に、元秋田大学病院長であられた故前多豊吉先生(当時県立中央病院長)が、長文を寄稿されておられます。その頃の私は新内は勿論、この医報文も知りませんでした。30年以上も前のことです。
 前多先生は、平成7年亡くなられましたが、その法要の席で(キャッスルホテル)当時川反芸者の若勇さんがこれを舞って弔ったのをご存知の先生がおられるかも知れません。この頃に、私は縁あって岡本新内を知り稽古しておりましたので、思いがけない席で、これに出会った驚きを今も覚えております。その昔、粋人であられ、また川反にご縁の深かった先生も、これをお好きだった故、起源、発祥の由来にまで、筆が及んだものと推察いたしました。
 この様に過去には多くの人々に愛された秋田生まれの伝統芸能も、時代の変遷と共に一般の好みから遠ざかり、花柳界の衰退と相侯って、今では知る人も限られてしまいました。しかし、地方には珍しいほど格調ある新内を、この地の貴重な文化遺産として、守り継ぎたいという熱意の人も少なからずおられ、その方々の努力により、一昨年横手市において、「第一回伝統芸能を再発見して育てるNPO」主催で「岡本新内・講演と演奏の集い」が盛大に催されました。また、これを確立した初代家元、岡本一寸平氏の功績を称え記念碑が横手公園に建立されております。
 横手と秋田には夫々門弟会、伝承会があり年2~3回の温習会を持って、この交流保存に努めております。私も良き時代の遺産に惹かれ、これに参加し楽しんでいる一人です。

 せめて一夜(ひとよ)さ、仮寝にも、妻と一言いわれたら、
  この一念も晴れべきに、どうした因果か、片思い、嫌がりゃしゃんす
   顔見れば、わたしゃ愚痴故え、なほ可愛い。(数ある歌詞の一つです)

次回は、中村淑子先生に、お願いしました。
 
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