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<ペンリレー>

発行日2005/09/10
   長沼雄峰
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ついに本を出してしまった
 
 ついに本を出してしまった。
 十数年も前から思っていたことだった。思いはいよいよ募り、ついには執念にまで高じていった。それ程までに気持ちをかきたてられたのには、今までの生き方に原因があった。
 幼い時からおかしな子だった。鬼ごっこをして遊ぶときは、いつもみそっかすにされていた。小学生の頃は軍国少年らの中で独り浮いていた。大人たちは、きまってこう尋ねる。「大きくなったら何になる?」全員が判で押したように陸軍大將と答えて、愚かしい大人どもを喜ばせていた。自分にはなるものがなく、いつもおし黙っていた。
 それから時が経っても、なるものがみつからなかった。数学か物理を勉強しようか、それとも機械いじりでもするか、結局は並なところで医者におちついた。卒業が迫っても進路がきまらない。心ひかれる科目がなかった。嫌いなものから除外していったら小児科学が残った。小児科学を専攻して良かったとも思わないけど、取り返しのつかないことをしたとも思っていない。
 流れに身をまかせて生きてきたが、生き方にはこだわりがあった。こだわりがとてもあり過ぎた。そのせいで、世間とはなじめないものを感ずるようになり、いつしかぎくしゃくすることが多くなっていった。
 どうせみそっかすならば、世間に左程の迷惑をかけることもあるまい。自分流に振るまっても許されるだろうと甘くみていた。が世の中はそれほどやさしくはなかった。
 やがて周囲からまるで宇宙人でも見るような目で見られ、この世での居場所がとても窮屈になってゆくのを感じていった。
 人生の終楽章にさしかかったところで、そろそろ世間と折り合いをつけないといけない。社会と和解するには、今までなじんできた己の性格とも決別することを余儀なくされる。いとおしく大切にしてきたものを、むざむざ手ばなすのは口惜しい。今まで生きていた証は書きとめておかなければ、気持ちにおさまりがつかない。そう言うもう一人の自分に突き動かされて筆をとることになった。
 書くうちに筆力の不足につき当たり、突然先に進めなくなった。中学生の頃から国語が苦手だった。ひたすら遠まきにして避けてきたのが、こんなところで蹟くはめになる。
 遅すぎたが、文章作法を習って一から出直すことにした。指導してくれたお師匠さんが気配を察したらしい。自費出版にするのは止めなさい。誰も読んではくれない。広く世に出すことで多くの人達がきっと読んでくれるでしょう。そういう内容がたくさん盛り込まれている。決心がついたら私にまかせなさい、と助言してくださった。こうして出版社を紹介していただいた。
 世にものを発信することの意味、その重大さを思うと、読者の顔が目の前にちらつく。2~3の箸休め的な題材を除けば、その多くは個人間のいざこざに端を発している。
 事情を知らない善良な市民にとっては迷惑な、まるで犬も喰わない夫婦喧嘩にまきこまれるようなもの。固有な事象は普遍化して話を展開してゆかないと、読者に頷いてももらえないし、立ち止まって考えてももらえない。
 何回も書き直すうちに、本来の筆鋒からは激しさがきえてゆく。ちょっぴり物足りなさが後に残った。
 いよいよ自分の本が全国の書店に並ぶその日がやってきた。
 一方では誰にも気づかれないままでいてほしい。他方では決心した上のことだから多くの人が手にとってみてほしい。そんな気持ちが行ったり来たりして落ちつかない。
 もし売れだして大騒ぎにでもなったら照れくさくて表に出られない。そう思うと、とたんに道行く人々の視線が自分に注がれているような気がしだした。ひそひそ話をしているのを見かけるともしやと思ったり、人だかりがしていると自分のことかと足を止める。まるで警察に追われているお尋ね者の心境だ。(全国の書店に手配書と顔写真が出廻っている!!)
 昨日までとはまるで違う自分に変わった感じで、自我意識が病的なまでに過剰になっている。無鉄砲に生きてきたが、実は小心者だったのだ。
 出版社の収支は本人が自家用にまとめ買いをしたのでなんとか辻褄が合ったらしいが、当初予定されていた印税を著者に支払うまでにはとどかなかった。そのことは、野心があってのことではなく端から予想されていた。
 もとはといえば、特定の人に伝えたい言わば果たし状のようなものからはじまったのだから…。
 それも今となれば一人去り二人去りして、その思いもいつしか遠くうすれてゆく。
 できることなら書かなくても済むような生き方をしていればよかった、とつくづく思う。

 
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