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<ペンリレー>

発行日2005/08/10
秋山皮膚科医院  秋山まり子
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恩師久保田くら先生逝く
 
 ますますお元気で、ゴルフ練習もかかさずなさっている新屋班の長老、一戸忠先生からのペンリレーのバトンタッチ。
 最近淋しさがこみ上げてくる。最後にお会いしたのは4月16日(土)のこと。診療も終わりヤレヤレと思っていた時、先輩の飯川曄子先生から電話を頂いた。「重体で集中治療室にお入りになっていらっしゃる」とのこと。一瞬頭が真っ白になった。私にとっては実の親同様にお世話になった大切な恩師である。その日の午後の予定は妹と一緒に行く「マツケンサンバ」だったがそれどころではない。すぐに妹の運転で県民会館ではなく、空港へ向かった。車の中で航空券を手配し、ホテルの予約を入れ何とか2時10分の飛行機にすべり込んだ。そして午後4時過ぎ、やっとの想いで久保田先生の手を握ることができたのである。お顔のなんと穏やかなこと、観音様のような寝姿に「あゝ先生はもう逝かれてしまうのだな」と思い、涙があふれた。それでも、もう一度お話がしたくて、先生の手をさすりながら意識が戻るようお祈りをした。
 医学部五年生で父を亡くした私に、久保田先生は翻訳のアルバイトなどを紹介して下さり、励ましても下さった。私もおしゃれでグルメの先生が大好きで、結局40年あまり御指導を頂いたことになる。帽子がお好きで、角館の武家屋敷を歩いていた時も「さっきの売店に帽子があったね」といった具合であった。
 今、頂いたハガキを読み返してみると必ず食べ物の事が書かれてある。「軽く焼いてワサビ正油をつけて召し上がれ!」など、心が温かくなってくる。
 久保田くら先生は東京女子医大名誉教授、御逝去は5月16日享年90才。昭和20年6月秋田県立女子医学専門学校創立と同時に教授として赴任してこられた。世界初の女性解剖学教授でいらした。30才という若さも世界初である。昭和22年同校が閉校になった際、慶鷹義塾大学に戻られ、その後母校の東京女子医大の教授になられたのである。秋田をこよなく愛して下さった先生は秋田のお菓子も喜んで下さり、亡くなった母も「御幸の華」というモロコシを何度もお送りした様である。お元気であった頃の先生が偲ばれる。バッタリお会いして食事に行くことになり、工事現場を歩いた際も先生は通行禁止用にはられた鎖を器用にヒョイと飛びこえられ、「気をつけて下さいネ」と言った私がバッタリ倒れてしまった。あんなにさっそうとしていらした先生が……。今は先生がお好きだったル・コントのフルーツケーキをながめながら先生と勝手にお話をしている。
 次回のペンリレーは秋田県立女子医学専門学校第一期生の久保田先生の教えを受けた北嶋陽子先生にお願いいたします。
 
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