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<ペンリレー>

発行日2005/04/10
秋田県立リハビリテーション・精神医療センター  中澤 操
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ピアノとわたし
 
 同級生の鬼平先生からのリレーです。久しぶりに電話でお元気そうな声をきき、ホッとしてお引き受けしました。ピアノの話を書いてみます。
 ずっと昔の秋田大学の医学生時代、明日から卒業試験が3ヵ月続くという11月30日のことです。私は事情があって、あるジャズコンサートの楽屋でお茶だししたり、お話したりということをしました。ミュージシャンはアフリカ系アメリカ人のクァルテットでした。もちろんコンサート中は私は明日の試験の第一内科の勉強をしていましたが、このとき知り合ったSさんという50歳前後男性の横浜のマネージャー氏は、あの有名なジャズ歌手サラ・ボーンの親友だったりして、私はびっくりして「来て良かった」ような気がしました。
 その後、私は帝京大学で勉強することになって東京に住みました。そのSさんが、私がピアノ好きであることを覚えていて下さって、Mさんという調律師を紹介してくれました。ある日、Mさんが「いいところに連れていってあげるよ」というので、「何処へ?」と歌曲の題名で尋ねたら「秘密」とこれも答えられました。のこのこと付いていくと、そこは某ピアノ工房のショールームで、大きなグランドピアノが所狭しと並んでいました。あっけにとられている私に、彼は30畳ほどの部屋の窓際の中央に堂々と座している2台のピアノを指さし、「これとこれがおすすめですよ」と言いました。なんとそれは、スタインウエイとべ一ゼンドルファーのコンサートグランドでありました(注:お洋服に例えますとサンローランとシャネルのイヴニングドレスのような感じですね)。べ一ゼンドルファーでベートーベンを弾くと重厚な響きが私の心を打ちました。スタインウエイでドビュッシーを弾くと、夜空に瞬く星々がクリスタルグラスのようにきらめくが如くでした。とても自分の演奏とは思えないすばらしさ、やはり楽器は大切なのだとこのとき確信しました。
 以来、私はいつかスタインウエイを2台(連弾もしますから)、そしてべ一ゼンドルファーを1台おいて、それを眺めて暮らしたいと思い続けるようになりました。眺めて、というのは、もう弾く時間などないからです。結婚するとき、中澤の父が「そんなにピアノがお好きなら」ということでヤマハC3を買って下さいました、すばらしい父君であります。そのC3はMさんが何もかもマネージメントしてくれた特別のC3です。「とりあえず限りなくスタインウェイ風にしてね」という私の希望に沿って、原材料段階から機種を選択し、何ヵ月も組立を待ち、整音・整調・調律を何時間もかけて仕上げて下さったものだから。毎年せっせと宝くじを買い、ピアノが何台でもおける家も含めて準備しなくては、と真面目に考えているものの、どうしていつも300円なのか甚だギモンですね。
 次は本当のピアニスト、みやざわペインクリニックの宮澤一治先生にお願いいたします。
 
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