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<ペンリレー>

発行日2005/04/10
秋元医院  秋元辰二
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開業外科医の消滅
 
まえがき
 この度、市医師会会報編集員会から、次の会報の「ペンリレー」執筆者に、沓沢貫之先生から私の指名があったので、と言う。沓沢先生は秋田中学校(現秋田高校〉の2年先輩で、昨年ゴルフで、自分の年令以下で廻るスコア(エイジイ・シュート)を記録、祝賀会が行われた事からでもわかるように、現在でもゴルフの神様であります。それで先生のペンリレーは必ずゴルフに関したお話とばかり思って送られて来た今回の会報(2月号)を開いて見ますと、なんと「七面鳥」と言う題でした。早速読ませて頂きますと、フィクションだとか、作者自身ではないとか冒頭書かれているようですが、すばらしいプロ流の小説でした。楽しく最後迄一気に読んで、それでは誰が書いたのかと考えてみましたが、書いた人は沓沢貫之とありますので、当然先生でしょう。私も子供の時七面鳥を家でかっていて、恐かった思い出があります。作者の観察力のすばらしさ、視診、触診矢張り医師です。持続性勃起症等病気の解説は満点です。蛇やイタチの話題、田舎でなければ経験出来ない話、そしてその頃の子供のあこがれの空気銃を手にし、近所のがき大将であった子供の頃の回顧話に本当に感動しました。先生が中学時代秋田市手形の家から学校へ通っていた姿を想像しました。実は私の同級生に先生の従兄弟がいたので詳しいのです。随分脱線しました。
 所が又次頁ペンリレー248番に鬼平聡先生の「蛇行滑走にあこがれて」がありました。ついでと言いますか、続けて読ませて頂きましたら、何と5万7千円の高級スケーターと知りました。栃木県出身、私は秋田出身で、子供の時長靴スケートを千秋公園の広小路前の壕で滑ったかは忘れましたが、町の小路を馬ソリの後につかまっていたずらスケートはやっていました。私もあれから何十年たったでしょう。10数年前、町の仲間とスケート遊びに県立スケート場に行きました。初めての本当のスケート靴を借りてはいたのです。立つだけでも容易ではない状態で、その日は帰りましたが、その後友達は行かなくなりました。私はどうしたのか、スケート靴を買ったのです。1万円位で、その後冬期間ひまを見て、現在でもスケート場に通っています。絶対転ばない事、只10周して帰ると言う事で、冬の健康法としています。医師会では、満州仕込みの名選手(スケート連盟の会長もなされた筈です)土方文生先生がおられ、現在中通病院の河田泰先生も滑られ、全国大会に行っているようです(役員?選手?)。それに先生が滑っているとお聞きし、心強い事と思います。ただ私は夕方5時過ぎ頃20分位滑って帰って来ているので、お会いする機会は少ないと思います。
 実はペンリレーの内容として考えていたのはゴルフとかスケートの趣味の話、健康法の事でしたが、その話題が共に重なってしまったので、言い訳ではありませんが、御両人に便乗して書かせて頂き、本文は全く違う本業の話と致しました。

本 文
 まえがきが長くなりましたので、本文は字数の関係もありすぐまとめたいと思います。即ち題名の如く、自分を回顧して、時勢の流れ、外科開業医と言う職柄が消滅したと言わせて頂きます。
 医師免許を受けて(昭和20年)病院研修、昭和32年に秋田に帰って外科を表示して現在迄やって来ました。しかし昭和60年入院室を閉鎖しましたので、入院手術はやれなくなりました。即ち終戦後約30年間開業外科医をしました。毎日と言っても良い程の虫垂炎患者の手術、胃痙攣患者の緊急往診麻薬注射、その他ヘルニヤ、痔等もありました。(この事は当時の外科開業医も同様だったと思います。)それが年々虫垂炎患者も、上腹部の激痛患者も減って来て、遂に入院閉鎖となりました。 これはどうしてでしょうか。当時は他の外科医の開業医が多くなった為とか、開業医の奥様は入院患者食事の事で朝から晩迄働かせられていると云う事、それと年令的な事も重なりあって、手術を止め内科医になったと思っていました。そしてそれが社会情勢の流れと考えていたのです。
 しかしどうしたものか、一昨年(平成15年9月号)本紙に「胃痙攣・急性虫垂炎と蛔虫(アンケート調査による)」を投稿させて頂きましたが、「ああ、矢張り蛔虫の撲滅が外科医を失業させた」と結論づける事になったのです。今年傘寿を迎え、人生を回顧する時、20才迄は戦争中で学生生活、20~60才迄は外科医として研修、開業医生活、その後現在は老後に添った生活と言う事になります。その医師としての研修の最初に、蛔虫をテーマに研究をし(腹痛を含めて)たものが、それを駆除して社会に貢献したのに職を失ったと言う人生は悲劇であったと言うものでしょうか。いや私は人生の最高の歩みだと思っています。やることはやったと。
 先日、わが弘前大学外科教室の同門(三葉会)の秋田の連中が新年会を開催しましたが、半数の老令外科医は昔を偲び、若い人は虫の事等全然知らないと言う状態でした。時代はすっかり変わっていました。浦島太郎の昔話です。
 (次の指名(老令の人)と言う事で、同門の新屋開業の一戸忠先生にお願いします。)
 
 ペンリレー <開業外科医の消滅> から