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<ペンリレー>

発行日2005/01/10
介護老人保健施設「千秋苑」  眞木正博
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感動のある生活
 
 秋田市医師会報の「ペンリレー」欄のそれぞれの個性ある文章を拝見していて、いつかはこの欄に私も書いてみたいものだと思っていた。このたび、神部憲一先生からありがたいご指名をいただいたが、いざとなって題材選びに苦しんだ。人間年をとっても、物事に感動し、張りのある生活をしていたいものである。読んだり、聞いたりして感激して記録しておいた話からふたつ。

(1)手塚治虫の恩人思い
 鉄腕アトムを書いた有名漫画家。まだ医学生だった昭和25年に東京の加藤謙一を訪ねる。加藤は元講談社の編集長、少年倶楽部の編集を手掛けられたが、戦後アメリカGHQによって講談社から追放されてしまう。その後、学童社を創立、漫画少年を発行していたという。訪れた手塚の漫画をみた加藤は、その連載を直ちに許可した。これが手塚の漫画界デビューのきっかけとなり、その後は押しも押されもせぬ漫画界の第一人者になったのは周知のとおりである。
 その加藤は昭和50年に亡くなった。多忙をきわめて、ご無沙汰がちの手塚は、訃報を受け、大阪から東京の加藤の自宅に駆けつける。家人は手塚に第一番の焼香をお願いしたが、手塚はそれを断り、不動の姿勢で式中、受付係を務めたとのことである。そこには手塚の師、加藤に対する限りない尊敬と謝恩の姿がみえる。偉くなってしまえば、自分一人で偉くなったかのように振る舞う人が多い世情だけに、感激はひとしおである。

(2)清水宏保スケート選手にみる行の姿
 ソルトレークで行われた冬季オリンピックの時、背骨の故障を克服して、みごと銀メダルを獲得した清水選手に対して世間は絶賛を贈った。それに対する彼のテレビ上での言葉は「自分は金メダルを獲れずに本当に悔しい」であった。
 多くの日本人選手はメダルどころか、入賞もできなかったのに「世界の檜舞台に出られただけも満足だ」とか、「自分の力を発揮できたので自分を褒めてやりたい」とかといっているのとは、全く姿勢が違う。そこには行の姿があった。私は本当に涙を流して感激し、彼に心からの讃辞を送った。
 ここでいう行とは修行のことであり、法に則った動きである。法を自己の体の中に実現していく。そこには逸脱する自己を矯める苦痛を伴う。一途に心を込めて行に集中する。その行の中から、法に遭遇できるようになる。そこに達人が生まれる。そのような行の姿を清水選手のなかに私はみたのである。
 次は先輩の塩川英二先生にお願いしたいと思います。


 
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