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<ペンリレー>

発行日2004/01/10
秋田赤十字病院耳鼻咽喉科  桃生勝己
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マンハッタンの思い出
 
苦闘編
 1999年から2年間ニューヨークで生活した。成田からおよそ12時間。その大半は北米大陸を眼下にしてのフライト、長いよ。JFケネディー空港での入国審査。ここでまずひっかかった。持ち込みの味噌を下手に申告してしまったのでいろいろ調べられた。何言ってるかわかんねえ。これが私のニューヨーク第一歩。次は、コロンビア大学附属病院まで行かねばならない。イエローキャブに載り、つたない英語で行き先を告げる。いろんな意味で興奮しているんだな、妙に饒舌になる。あれがヤンキースタジアムと教えてくれたが、たしかブロンクスにあって、行くには勇気がいるだろうなあと思いながら、ちゃんと目的地に着けることをひたすら祈っていた。しばらく行くと、ちょっとやばそうな街に入ってしまった。いわゆるかつてテレビで見たハーレムそのもの。まさか、こんな所に病院があるわけないよなあと思っていたら、突然、着いたよと言われ、愕然としてしまった。宇多田ヒカルのコロンビア大学と場所が全然違うぞ。随分と北だよな。しかも殺人多発地帯とガイドブックに載っている。勘弁してよといってももう遅い。運転手さんの正解。重いスーツケースを持って留学先のスタッフのところに行って御挨拶。SSNといって入国してから絶対必要な登録番号をもらいに行って来いと言われ、歩いていっても近いよと言っていたオフィスがやたら遠い。ひったくりに遭うのではとびくびくしていた。着いたら着いたで3時間は待たされ、しかも英語は通じない。なんとかクリアしてまた恐ろしい道をひとりとぼとぼ病院へ。夕方、留学中に大変世話になった中国人のインさんに連れられて地下鉄でホテルヘ。安ホテルだが、やっと一息つけた。シャワーや洗面所、ベッドは立派だが、テレビは写りが悪い。困ったのは冷蔵庫がないこと。水道水も飲めない。買い出しだ。マンハッタンはデリがいっぱいあって、いろいろ品が揃っているので便利。韓国人の経営者が多い。ミネラルウォーター、ダノンのヨーグルト、バナナが定番。あっとビールも買わなくっちゃ、つまみはと、おや、カッパえびせんがあるぞと思ったら、韓国製の海賊版でしょうかびっくりしました。なんだか時間が過ぎていくうちに異国に馴染んでいく自分が認識できる。主食はサンドイッチ、日本と違って気前よくトッピングしてくれるので助かる。しかも安い。買い出しを終えてホテルに戻って、バスタブにお湯をはってやっと至福のひととき。えらいとこに来ちゃったな、家族はどうしているかなといろいろ思いを巡らす。入浴が終わると洗濯が待っていた。もちろん手洗いで、おかげで腱鞘炎になった。金が続かないので結局そのホテルには2週間だけ滞在した。次に住んだのは、ニュージャージーにある長谷川さんという方が経営している下宿屋さん。日本企業の方もよく利用している。ホテルよりかなり安いし、なんといっても朝食が和食なのがうれしい。夕食は病院の近くの韓国デリの惣菜(これがまた美味しい〉を買って、下宿屋で食べた。ビールは下宿屋で購入できるので助かった。だんだん人間らしい生活ができるようになっていった。その間、銀行口座を開設したり、古本不動産のディックさん(台湾の方ですごくいい人)と一緒に賃借物件をみて回った。このときはじめてベンツに乗せてもらった。お一っと、なんだかうれしくなってきたぞ。こんなわけで苦闘篇はそろそろ終わりにしましょう。
 
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