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<ペンリレー>

発行日2003/11/10
清水整形外科医院  清水東吾
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三十路なかばのスプリント勝負
 
 2003年9月某日、愛知県東郷町の愛知池の漕艇場。秋とは思えない強い日ざしが照りつける午前11時。全国市町村交流レガッタ準決勝の第1コースで高鳴る鼓動を感じながら我々5人はスタートの合図を待っていた。予選を通過できず、敗者復活戦からここまでなんとか上がってきた。だから、予選タイムからすれば我々が次の決勝に進める可能性はゼロだったが、『もしかして』と『今年最後のレースか』という相反する思いを胸に湖上の波に揺れていた。
 クルーは漕手4人と舵手1人の計5人。漕手は手術場看護師、麻酔科医、整形外科医、そして病理医。舵手は整形外科病棟の看護師。このクルーが結成されて3年になる。昨年の地方大会で優勝し今年の全国大会出場権の切符を手にした。職場対抗の全国大会。地方を勝ち抜いてくるのは、消防士や建設業などさまざまだが、みな筋肉隆々、肌浅黒く、『常日頃から体鍛えてます』という体つきだ。我々のように色白で脇腹に贅肉をつけてるようなクルーは他にいなかった。オールさばきもどのクルーもみな洗練されていた。地方大会は体力の無さをオールさばきで補って勝ちすすんだが、公式練習で他のクルーを見た時点で『ありゃありゃ大変なところにきてしまった』と思わされていた。
 ボートは団体競技の際たるもののひとつだ。漕手4人がオールを水面に入れる瞬間と出す瞬間、オールの深さや体重移動などその刹那刹那すべての動きをシンクロさせなければいけない。個々の僅かなずれが艇の抵抗を生み艇速が落ちる。だから、ボブサップが4人集まってもばらばらに漕いでいたら前にすら進めない。無論、同調性も漕ぎ方も同レベルであったら、体力スタミナが勝る艇が速い。だからこそ、非力な医師のクルーはどこまでも動きを合わせ勝負するより道は無かった。『柔よく剛を制す』柔道のそんな言葉にすこし通じる。
 全員が揃って練習するのは早朝と日程的合致した日曜だけだ。職場対抗だからどこも条件は同じだろうが、特に我々は練習スケジュールを組むのが大変だった。臨時opeなどあればボートどころではない。限られた時間で限られたことをするしかなかった。今年シーズン初めには、タイミングがばらばらで、うまく艇速がでなかった。昨年地方大会で優勝した時の姿はなく当然年齢も一つ増えている。クルーの平均年齢は40に近かった。そんな状況でも、ひとつひとつの動きを少しずつ修正し合わせることで少しずつ昨年の艇速に戻りつつあった。だが艇が結始ストロークサイド(左)に傾く癖だけは修正できずに大会に臨むことになりこれが今年の足かせになっていた。大会当日朝5時起床。6時にこまちに乗車し東京駅で乗り換え名古屋着が午後1時。名古屋からさらにバスで1時間で東郷町に到着。この計8時間に及ぶ行程中に当然それ相応の酒量もこなしていたせいもあって、午後2時にボートに乗り込んだときにはかなり疲れていて、集中力も低下、そのまま予選は惨敗、5艇中5位。明朝の敗者復活戦にまわることになった。敗者復活戦をなんとか勝ち上がり準決勝まで駒をすすめた。
 「スタート用意!」審判員の声がひびく。漕手がスタート位置につく。オールを握る手にグッと力がはいる。準決勝は6クルー出走して決勝に進めるのが3位2クルー。追い風、順流の好条件。全長500mのコース。おそらく2分前後の勝負だ。このとき心拍数80、血圧120、酸素飽和度100。
 「用意!……ロウ!!」各艇が一斉に漕ぎ出す。ザバッザバッザバッと3回力を込めてのスタートダッシュ。水しぶきがほとんどあがらず、静かなスタートに成功。しぶきはあがらないほどいい。
 「1!2!3!4!5!」舵手の声が鼓膜をつく。彼の声はそれほどに良くとおる。スタートダッシュの後にさらに5本力を入れて漕ぐ。りきみがなく、艇のバランスも良かった。そのままコンスタントに入ってlOOmを通過。いままではいずれもスタートに失敗しこの時点で他の艇に引き離されていたが、ふと隣をみる他の艇がすべて視野に入って横一線。
「よっしゃ一!いけるぞ一!!」思わず叫んだ。このとき心拍数110、血圧140、酸素飽和度95。まだ余裕あり。
 『勝てると思った瞬間から負けが始まっている』今季最高のスタートをし、横一線に各艇が並んでいるのをみて、りきみがはいって微妙にオールの動きがずれ、艇の抵抗を生み艇速がスーッと落ちる。250mを過ぎて2位に半艇身の差をつけられ3位に後退。決勝進出は上位2位。『まだまだ。このまま付いていけば最後に差せるぜ』まだ諦めてはいない。でもちょっと大腿四頭筋が張ってきた。
 「足蹴りいこう!さあいこう!!」250mを過ぎて舵手から号令がかかる。足蹴りとは中間のスパートのこと。勝っている時は相手との差を拡げるために、負けてる時は差を縮める時に行う。今は無論後者のほう。ピッチを上げて漕ぐ。が、思ったより相手と差は縮まらない。酸素飽和度は90まで低下、心拍数は140以上。全身の筋肉が酸素を欲しているようだ。顎が上がりはじめて残り200m。
 ここまでくると意外と冷静に周りの声援が聞こえてくる。
 「しみず一!!死ぬ気で漕げ一!」監督の声だ。ちなみに監督は女性。彼女の声で大事にとっておいた最後の力をだす。応援はやっぱりあったほうがいい。
 「ラストスパートいこう!!」舵手から最後の号令がかかる残り100m。前脛骨筋が麻痺したようになっている。『だめ。もう漕げない。無理。』そうすると後ろの病理医が必ず気合いをかけてくる。
 「ほら!いくぞ一漕げ!」身体の組織がこわれ、筋肉は崩壊し、CPKやアルカリフォスフォターゼなどの骨筋関連酵素が上昇しているなかで最後の死力を尽くす。もう順位は自分では良く分からないほど興奮と疲労の中にいた。
 「先生、日に焼けだっすな一。」「ん一?んだが一?」レース終了後とんぼ返りで秋田にもどってきた。全身の堪え難い苦痛を感じながら外来に立っていた。なまはげのように赤くなった顔をなじみのばあちゃんにひやかされる。結局順位は6艇中5位。決勝進出はならず今年の夏は終わった。でも今季ベストタイムの2分08秒。『もっと練習すればもっと速くなる。』そう感じている。年齢を理由に今季での引退を表明している麻酔科医を来年どう引き込むか今から考えよう。おしまい。
 
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