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<ペンリレー>

発行日2003/11/10
秋田回生会病院  大沼 俊
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絶句
 
 お世話になった木村衛先生からこのリレーを受け、早速とりかかり、余裕を持って楽しみながら脱稿する、その予定であった。ところが、うろうろ推敲しているうちに、締め切りを失念してしまい、結果、編集部に電話の前で平謝りとなる。さらに続いて、「勝手にシンドバット」と題されたその文章を、今度はうっかりパソコンから消してしまっていた。このように、意識とは全く逆の事をする、忘れる、うっかり、という心理機制は-…ここまで書いて、はた、と、絶句している自分に気づく。また、だ。何も発言出来ない、専攻している心理学・精神医学に関して。この事は、私個人の間題をさっぴいても、なお興味深い。自分がオカシイから精神科医になったんじゃね一の?と、総合病院時代は本気、もとい、冗談半分で、よく言われたものであるが、少なくともかつての小生は偉かった。若かった。先生、そういうのを逆転移っていうんだよ一ん、いや、人格水準からして、先生はもっと原始的な投影性同一視かな一?等と好き放題に言い合えたから。そんな話題をきっかけに心的なことについて自由にのびのびと語り合えていた。だが、世事に疎い事うわばみのごとき小生も唾を飲む程、シャカイというものは廃物で、やがてメンタル・ヘルスの慨念が急速に流布、精神科(医も患者さんも〉差別は、一部地域一部人間を除いて、ほとんど表向きにはなりを潜めていく傾向にある。もしかしたらその内、「言ってはいけない条例」が出来るかも知れない。それ自体は喜ばしい事であるし、差別と戦い続けた先人達の悲願であったと言って良い。しかるに、機を一にして「こころ」という言葉が大ブレイク、現在に至っても全く衰えないでいる。これはNHK朝の連ドラの話では無い。あちらこちら、猫も杓子も、小判も鮫も、の事である。一体どうしたのだ?不景気はいくら心を語ってみても回復しないのは重々承知の助であろうとて、気は確か?「不安」「気持ち」「生育環境」「愛」などなど、その類の言葉が、ナイル川よろしく氾濫している。そして、溺れる者は藁を掴んで溺れていく。博士号を後手に回しつつ、科学的ではないとの非難に耐えに耐え、周囲の皆様にご迷惑をおかけしながら精神療法のトレーニングを積んできた小生としては、ここで、どうしても絶旬してしまうのであった。困惑、というよりフリーズである。コンビニで売られている、名物店と同じ味のカップラーメンよろしく、相重効果を期待して、「これぞ心のご本家!」と、今、ラッシュをかけるべきか?それとも、一応その道で生計を立てているプレとして、軽々しい発言は慎むべきか?あああ、言いたい放題言ってしまったらどんなに楽しいだろう。一方、その念が増すほどに精神医としての衿持の締め付けもきつくなる。結果絶句症状は現在のところ微動だにしないでいる。
 心的なものの見立て、および治療は、比喩的に、外科学、小児科学から学ぶ所が多かった。重要な「共感」という慨念の具現として、その態度から小生に教えて下さった小児科医、佐々木剛一先生、お願い致します。
 
 ペンリレー <絶句> から