トップ会長挨拶医師会事業計画活動内容医師会報地域包括ケア介護保険について月間行事予定医療を考える集い学校保健関連

<ペンリレー>

発行日2003/08/10
木村内科クリニック  木村 衛
リストに戻る
新米警察医のひとり言
 
 ある日、秋田組合総合病院の坂本先生から突然の電話がありました。「新屋地域には警察医はいないし新屋、御野場、仁井田、下浜などを担当してもらえないだろうか?」とのことでした。「誰かがやらなければ仕方の無い仕事でしょうからしょうがないですね。」と返事したら、そのあと5分の間に、追分の吉成先生、秋田警察署、秋田大学法医学教室吉岡教授と立て続けに電話があり、法医学とは疎遠な私が警察医を引き受けることになったのです。そして、吉岡教授から最近の法医学の教科書を紹介していただき、十数年ぶりにひもとくことになりました。
 これまでも、患者さんの死には幾度となく立ち会ってはきましたが、検屍の場合、病院での死体と異なり、必ずしも死体が新しいとは限りません。古くて傷んだ死体は医者の私でも気持ちの良いものではありません。しかし、死までの歴史を背負い今ここにいるという事が頭をよぎるのです。特に自殺者の場合「なぜ、自殺までしなければいけなかったのか?」といつも思わされます。また、自殺者の家族の複雑であろう心境を考えるとまた別の意味で心が重くなります。
 学生時代の法医学の記憶と言えば死亡診断書の書き方の講義程度しか残って居りません。{もっとも母校の法医学の教授は平瀬文子(故人)と言う豪快な女性でしたが、この先生に「今日は猟銃による自殺者の解剖がある。銃創など日本ではあまり見られないから、興味のある学生は見に来なさい。」と言われ、恐る恐る解剖室を覗くと、バットの中の原形を留めない脳の中から「散弾銃の弾を集めなさい。」といきなり参加させられたこともありました。}
 最近、法医学に対するイメージが一変しました。今まで基礎医学と思っていた法医学は、生存している人が対象の臨床に対して、単に死亡後の人を対象にしている違いはあるものの、実態は全くの臨床医学そのものであると感ずるようになったのです。
 先日、成人病医療センター主催のミニ・レクチャーで市立秋田総合病院外科の橋爪先生が、悪性疾患の在宅末期医療について講演されました。私も成人病医療センターと共同で在宅末期医療に携わっており参考になる講演でした。このとき、ふと在宅末期で死に至る人はある意味で幸せな人だと思いました。それは、検死を引き受けた人の中に人知れず亡くなった一人暮らしの老人が少なくないからです。それに比べれば家族、医療関係者と関りながら死を迎えられるならやはり幸せなのではないでしょうか。
 人生の終焉までQOLを保つのが医療の最終目標と言われています。それは本当なのでしょう。ただ、検死をするようになってから「一律に医療人が考えるQOLが必ずしも患者さんの幸せ、満足とはならないのではないのかな?」と思いはじめています。QOLも一人づつその質がちがうのではないでしょうか?
 この辺で、ペンリレーのバトンを以前公立角館総合病院の同僚だった大沼俊先生(現、秋田回生会病院)につなぎたいと思います。
 
 ペンリレー <新米警察医のひとり言> から